ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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【質問箱】中国を嫌いになったことはありますか?

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ご質問をいただき、ありがとうございます。またブログもご覧くださり

重ねてお礼申し上げます。それでは早速ですが、ご質問にお答えしたいと思います。

 

お恥ずかしながらここだけのお話し(ブログに書いてしまうと「ここだけ」ではないですが)

安定的にポジティブに思えるようになったのは、本当に最近のお話しです。

もっと正確に時間をお伝えするとすれば、ここ1,2年のことです。

 

理由は色々あると思うのですが、一番はやはり出産をして、中国で生きると覚悟ができたことと、

中国と言う社会に頼らなければならない状況になり、中国の方がどのように日頃

振る舞っているかを観察したり、気づいたことを実践し始めたことが大きいと思います。

 

またまたお恥ずかしながら、こちらをご覧いただきたいと思います。

「中国感情グラフ」と申しましょうか…。

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  1. 中国渡航前(教科書やテレビの中だけの中国)
  2. 大連理工大学の学生たちと、中国大連で交流(関連記事はこちら
  3. 就職時代。中国留学への思いを抱き続ける(関連記事はこちら
  4. 退職
  5. 中国留学開始。到着早々「はぁ⁉」の聞き返しにKOされる
  6. 作文コンテストで最優秀賞を受賞
  7. 留学時代。日中関係が緊迫し、日本人であることを隠す日々。留学2年間は中国語も安定の最下位。文化の違いを受け入れられず悩み落ち込む
  8. 中国の大学を卒業。優秀留学生賞と優秀卒業論文賞を受賞
  9. 中国語講師として、市内の小、中、高校の教壇に立つ(関連記事はこちら
  10. 日本帰国中。中国語講師と中国語を使った仕事に従事する
  11. 中国大学院時代。クラスメイトとの学力の差に中国語の道をあきらめようとする
  12. 日本帰国中。中国語を使った仕事に従事する
  13. 仕事で中国語を使うが、あくまでも日本でのこと。本場で勝負をしたいと思い、上海での日系企業に応募。内定をいただく
  14. 上海就職時代。人生最大の挫折を経験。仕事は続けるが3年ほど自分の殻の中へ
  15. 主人と出逢い、恋愛。人生のどん底から引き上げてもらう
  16. 結婚
  17. 結婚を機に瀋陽に移住。妊娠、出産、育児
  18. 昨年あたりから、中国の方との本当の付き合い方を少しずつ体得中。オンラインで中国語の同志たちと交流が始まる。ブログで今の生の中国の姿を配信する

 

まぁ、なんと、ネガティブ感情の多いグラフなんでしょう!

私自身でも、思わず笑ってしまうぐらいです。

 

留学前は「留学する」ということ自体も夢の一つでしたし、中国留学というのに、

仕事の忙しさにかまけて中国語は全く勉強せずに、英語圏の短期留学のような

フレンドリーな感じをイメージし、期待に胸を弾ませて中国に飛び込みました。

到着当日は夕方頃でしたので、その日は就寝だけでしたが、翌日から中国の洗礼を受ける

ことになります。

「はぁ⁉」と、なんとも怖い聞き返しに怯えながら、必死に中国語に食らいつく生活を

送っていました。退職もして背水の陣で臨んだものの、文化の違いという大きな壁に

「中国に来たのは間違いだった?」と自問自答する日々が続きました。

 

また私が留学した2004年は、日中関係が緊迫しており、日本人への風当たりが、非常にきつい

時期でもありました。

さらに留学前、日本でサービス業に従事していたこともあり、教育係である先輩に徹底的に

サービスを教え込まれたこともあったため、中国のサービスの質の低さを見ては

「そんな程度しかできないの、最低!」と見下すようなところが、正直あったことは否めません。

(今から思えば、中国の国情を全く理解しておらず、知ろうともしなかったことが

非常に恥ずかしく思います。またここ数年で中国のサービスは以前とは比べものに

ならない程向上しています。瀋陽のこんな田舎であっても、気持ち良い買い物、外食が

できるようになりました。)

 

苦しかった留学時代を乗り越え、成績の向上とともに少しずつ中国も好きになり始めます。

そして目標だった優秀留学生賞と優秀卒業論文賞を受賞し、そのまま調子にのった状態で帰国。

イケイケドンドンで市長に連絡をし、市内の学校の教壇に立たせていただけることに。

また仕事でもちょうどインバウンドで中国人旅行客が増えてくる時期と重なり、日本人が

中国語で接客することがまだまだ珍しく、お客様やスタッフ、上司からも大切にしていただき、

ピノキオ”になっていました。その勢いで大学院に戻ってきましたが、中国人生徒との

学力の差は明らかで、精進したつもりでしたが越えられない壁にぶち当たり、道を見失いました。

 

気持ち的にも、学力も、追い詰められたこともあり、日本に帰国することを決意。

中国語を仕事や生活として使うのか、あるいは趣味の程度で良いのか、一度立ち止まって、

ゆっくり考えるためにです。

ただ幸い大学卒業後に就職した会社から、再びお誘いいただいたことで、中国語を使う

環境があり、また自分自身でも通訳学校に通い、何かのヒントになるのではと、今まで

「中→中」の思考を「日⇔中」で考える訓練をするため、仕事をしながら約1年間、

週2回通学しました。

 

上海での人生最大(であろう)挫折は、いずれご紹介できるような日が来ればいいのですが

正直あまりにもショックすぎて、その頃の記憶がぼやけているほどです。

プライドだけはあったので、強がって仕事中は普通に過ごしていましたが、

週末ともなれば家に閉じこもり、廃人生活を送っておりました。

言葉は悪いですが「中国なんてくそくらえ!」と思う毎日を過ごしながら、それでも

上海にしがみついたのは、やはり中国語が好きで捨てられなかったのだと思います。

もしこの時期について一言だけ付け加えるならば、この経験をしたおかげで今の私が

あると思います。渦中にいる時は見えませんでしたが、人生に無駄なものはないと思います。

 

そんなどん底で殻に閉じこもっているときに、その殻を打ち破り、外の世界に連れ出して

くれたのが主人です。

当時は瀋陽と上海の遠距離恋愛中で、私が挫折の記憶に吸い込まれるように、

気分が落ちてしまう時があり、LINE(当時はまだ使えました)やWechatをつなげたまま

週末を過ごしたこともありました。また格安航空チケット「春秋航空」には、お互い

随分お世話になりました(笑)。

 

結婚後、人間関係がとても重要な中国社会とあって、主人が上海に来て一から積み上げるよりは

私が(外国人でそれほど上海に大きなコネもなかったため)瀋陽に行った方が効率的だという

結論を二人で出し、移住することにしました。

北京留学、上海就職と中国での生活も8年ほどになっていたため、中国を理解している

つもりでしたが、瀋陽での生活が始まると「これまでの中国は中国ではあらず」と思いました。

 

特にそれまで生活をしていた上海は、日系企業も、日本人も多く、さらに日本製品を始め

日本料理店、日系のコンビニ・パン屋・クリーニング・スーパーなどが至るところにあり

欲しいものはすぐに手に入り、「ここは日本?」と錯覚してしまう程でした。

しかし瀋陽、特に現在の生活拠点は中心街からは離れていることもあり、ほぼ100%中国

の生活を送っています。

さらに東北人は世話好きというか(大切に思っている気持ちがあるから)とにかく

プライベートにもズカズカと入り込んでくるタイプの「おじさま、おばさま、ご年配」が多く、

「子供は?早く産みなさいよ」「そんな格好をして、冷えるわよ」「今日ご飯何作るの」

という風なことを「こんにちは」と同じレベルで聞いてきます。

上海の挫折を経験し、パーソナルスペースが広くなっている私には「いい加減にして!」

「放っておいて!」と言いたくなる日々が続き、結婚の幸せ気分からは一転、中国感情は

急降下という経験をしました。

 

子供が生まれてからも、何かと“心配される”私。

子供を散歩させているとき「寒い日に(子供に)手袋もささないなんて、あなた母親じゃない!」と

中国の方と道をすれ違うたびに言われたり、「帽子、帽子(を被せなさい)、ったく!」

と見知らぬ方に道の向かい側から、大声で怒鳴られ(ご本人は話され?)もしました。

 

それでもこの1,2年で安定的にポジティブ感情になれたのは、まずは自分から近寄って

みようと思えたことがあります。冒頭のように異国での初めての子育て、頼るしかありません。

また子供を抱えてバスに乗った時、自然と誰先にと席を譲ってくださったりします。

その譲ってくださった方とそのまま育児談義をしたり、世間話をしたり…。

 

子供のイヤイヤ期を乗り越え、少しは「育自」ができるようになってきたのか、お叱りを受け

以前は「キー!」となっていたのが「そうですね!」と返せるようになりました。

「子供は、どの子も我が子」との愛情から、声掛けをしてくれているという道理も

分かってきたこともあり、お叱りを受けた後、お礼を言うと向こうも笑顔になります。

 

さらに中国語で駆け引きができるようになったこと、相手の出方が分かり先手必勝で

乗り切れられるようになったこと、さらにはハード面として瀋陽の医療を含めたサービスが

向上したこと(関連記事はこちら)も、大いに関係があると思います。

 

あと何気にブログを始めたことも、その一つだと思います。

一人頭の中だけで考えていると、出口のない思いで苦しくなる時がありますが、

日本の文化に接した方から「そう思っても仕方ないのでは?」「同感です!」という

共感のお声をいただけることで、自分の中で消化不良にならず、安心して

次に進めるということがあります。

またオンラインを通じ、中国語を愛する同志に出会え、切磋琢磨できることも

大きな心の支えです。

 


 

随分長い前置きになってしまいました。

ご質問くださった方は、現在中国留学中で日本にいた頃には想像できなかった「生の中国」に

接することで戸惑っているところもあるのでは、と思えてなりません。

しかしそれは、毎日中国に必死に向かっているという証でもあると思います。

がんばっていらっしゃいますね。素晴らしいと思います。

 

同じ人でもいろんな側面を持っていらっしゃるように、一国家もいろいろな顔を持っています。

その一部を見て全体を判断するのではなく、部分部分で好き、あるいは嫌い(受け入れられない)

と、切り離して考えられれば、少しは楽になるのではと思います。

とは言いつつ、私も留学時代は一つの出来事ですぐに「好き」「嫌い」と判断していました。

 

年齢に応じて感じ方も変わってきますし、中国だって変化しています。

最終的にはどのような感情の着地点になるか分かりませんが、今中国でいらっしゃることを

最大限生かされ、有意義な留学生活を送っていただきたいと思います。

 

最後に一言だけ。「食わず嫌い」だけはもったいないですよ。加油!!!