“四十不惑”
この度、大学院に進学することにしました。
今までの記事をご覧いただいている方は、既にご存じだとは思いますが、私は日本の大学時代に中国語を専攻していたわけではありません。日中青年交流会のチャンスをたまたま運よくつかみ、大学4年生の時に中国大連に訪れた際、同い年の大学生のある一言によって、中国語への針が動きだしました。
あの夏、約10日間の交流会を終え帰国。留学への強い思いはあるものの、当時は就職超氷河期。これ以上両親に経済的な負担はかけられないと、内定の決まっていた企業に就職。
一方で、石の上にも三年。大学の先輩から、「学費を含め(当時)1年間100万円もあれば、留学ができるよ」とのアドバイス。そのため大学4年間の学費と生活費、何かあったときにと合計500万円を貯め、中国への思いが変らなければ、留学しよう。そう心に決めて、入社式に参加していました。
丸三年勤め、仕事も面白くなり始めた頃。今飛び出さなければ、留学はもう一生夢のまま。中国への思いを「あきらめる覚悟」はあるのか、と自分自身に何度も問いかける日々。このまま仕事をつづけながら、家庭を築いても、必ずいつか心のムズムズを抑えきれなくなる日が来ると思い、退職届を提出しました。
仕事を辞め、背水の陣で臨んだ留学。しかし留学2週間で中国に来たことを後悔するほどの落ちこぼれ。授業でも中国語が出てこず、悔しくて泣き出してしまうほどのレベル。先生の言うことが聞き取れず、ずっと先生の口元を見て過ごしたことさえも...。必死でもがいた2年間でした。
次のテストでもクラス最下位なら、もうあきらめて帰国しよう。そんな風に思っていた3年目。またしても中国語の軸が、大きく動き始めました。幸いにして3年生の担任に、「中国語とは...」を叩き込んでいただき、今まで真っ暗闇だった中国語の世界に、一条の光が差し込んだことを今でもよく覚えています。
遠回りはしたものの、学習法を知ったそれからは、今までが嘘のように、中国語が耳に入ってくるようになりました。そして大学卒業時には優秀留学生にも選ばれ、大学院への切符を獲得。そのまま北京で大学院に進み「対外漢語教育(外国人に中国語を教える学科)」を専攻。ワクワクした気持ちで入学したものの、中国語講師を目指す中国人のクラスメイトの前に、失意の毎日を過ごします。今までは留学生として、完全に”お客様”だったと気づいたからでした。
私自身がまだ幼かったこともあり、もともと中国人学生とは違う土俵に立っていることを分からずにいました。それ故に、いつも心に「大学院卒業は、おそらく問題ない。でもこんなレベルで何が講師だ、何が院卒だ...」と思い悩み、中国語を学ぶことがプレッシャーにしか感じなくなっていました。
最後は優秀留学生という下手なプライドが邪魔をし、「できない自分」を受け入れられず、大学院を後にしました。(今思えばバカですね...)
そんな過去を封印するかのように、中国語に触れようとしない時期もありました。大学院中退の後悔を心の奥で引きずりながら、結婚、出産、子育てを理由に見て見ないふりをする日々を過ごしていました。
先に一度、日本の大学時代にまで話が戻りますが、パソコン講師のアルバイトを長くしていました。その時の経験から、将来は講師という道を選びたいと考えていた私。留学を通して、「講師」+「中国語」という計算式ができるのは自然なことでした。
そんな「気持ち」しか取り柄がなかった私に、「ちょっとやってみますか?」と、お声がけくださったのは、今所属させていただいている『SC神戸中国語スクール』の森川寛先生でした。私の師匠であり、恩人です。
「私の実力では、ご迷惑をおかけしてしまう...」と思いながらも、もう二度とこんなチャンスはないと、お願いしました。
中国語が少し話せるからと言って、教えられるとは限りません。むしろその自信に足をすくわれることが多いです。
情熱しかない私に、森川先生は「実戦的な教え方」を0からご指導くださいました。
私は日本語ネイティブですが、日本語は教えられません。そういう学習をしていないからです。
— ちゃーちゃん@中国瀋陽 (@ChachanChina) July 18, 2021
私は中国語を話せますが、通訳・翻訳はできません。そういう訓練をしていないからです。
私は中国語はノンネイティブですが、中国語は教えられます。そういう学習と訓練を受けているからです。
夢にまで見た中国語講師。
受講生のみなさんのがんばりや応援、多くの方がTwitterやブログなどのSNSもフォローくださり、毎日本当にありがたく感じています。
一方で毎日のレッスン、知識・経験が豊富な先生方の研究発表会やSNS、懸命に努力されていらっしゃる学習者さんのツイートなどを拝見していると、私自身の”不足”がより一層見えてきました。
ちょうど去年の秋ごろから、中国語への焦りや不安が大きくなり、特に春の足音が聞こえる頃、Twitterでも何をつぶやけばいいかわからないほど、”枯渇”を感じていました。
夢にまで見た中国語講師。
ただ自分の理想の姿からは、程遠い現実。もっと知識があれば、もっと実力があれば...、そんなことを思う日々を過ごしていました。
そんなとき、瀋陽がコロナで約2か月近くロックダウンだったこともあり、大学院の募集が通常の募集期間より延長されていることをキャッチします。大学院に行けばレッスンが上手くなる、中国語が上手くなる、というわけではないですが、その礎になるものがあるならばと考えるようになりました。進学したいことを主人に相談すると「応援するから、少しでもやりたいという気持ちがあるから、チャレンジしてみたら?」と背中を押してくれ、子供と3人これからのことを話し合いました。
家庭、仕事などを考えれば、1年遅くなるごとに、子供にかかる学費、(塾への送り迎えや学習の難易度等の)学習サポートの負担、私自身の年齢...、どれをとっても不利な条件になっていくことを考え、「チャレンジするなら今年」との決意とともに、大学院入試の申し込みをしました。
コロナの影響もあり、必要追加書類の提出が遅れるなど、始めから前途多難な大学院。そんなこともあり、合否の発表を知らされずに夏休みに突入。今年は駄目だったのだろう、と半ばあきらめていたころに大学院からの連絡。電話が来たその日に、筆記試験、そして面接を実施。このバタバタ感が中国だなと思いながら、今まで学んできたことを発揮できたので、後悔なしの試験でした。
そしてこの度無事、合格通知書を受け取りました。
(こちらのブログをお読みくださっている方の中には、中国の大学院進学を目指されている方もいらっしゃると思います。そこで必要な書類やスケジュール、手続き方法、そして入試内容などは、改めてまた記事にしたいと思います。)
知識が増えれば、良い講師になれるというわけではありません。しかし、”枯渇”をしているようでは、決して良い講師にはなれません。今回大学院には進学しますが、できる範囲の中で講師も継続し、知識と経験を積み重ねてまいります。
また教壇に立つ毎日で、忘れそうになる「学ぶ側の気持ち」をもう一度しっかりと感じ、受け止め、心に刻んでおこうと思います。
私自身中国語も、人間性もまだまだ至らぬ点ばかりですので、今後ともご指導のほど、どうぞよろしくお願いします。