【前回のあらすじ】
2年間安定の落ちこぼれ留学生。
それが3年生の担任と出会え、文法の先生にも出会え、中国語が一気に開花する。
卒業時、優秀留学生賞と優秀卒業論文賞を受賞した私は、完全に自分を見失っていた。
だがその「勘違い」こそが意外な結果に結びつく。
その後卒業時までトップ10を維持でき、優秀留学生賞と優秀卒業論文賞を受賞した。
自惚れていたことも、調子にのっていたこともあり、この勢いで日本帰国後、
県知事と市長に手紙を書いて郵送した。
「中国留学経験者ですが、なにかお役に立てることはないですか」と。
その結果、知事からは「後ほど秘書から連絡させます」というメールが届き、
数日後県の人材登録センターから、登録シートが郵送されてきた。あいにく毎回の
活動センターには車で往復2時間以上かかることもあり、丁重にお断りをした。
そして市長からは手書きで3枚にも及ぶ返信が届き、後日市長室まで招待された。
そこでボランティアではあるが、市内の小中高校に出向き教壇に立ってほしいという
ご要望をいただいた。
これは地域活性化のプロジェクトの一つで、特技を持つ市民を集め、その特技を生かし、
学生たちに授業をするというものだった。
私の他には英語、手話、華道・茶道、農業、アカペラ、手品、俳句など、ジャンルを問わず
様々な人材が、オリジナルの授業を行っていた。
またこれは、生徒はあくまでも自由参加の活動で、放課後に行われること。
そして報酬はワンコインにも満たない、ほんの心ばかりというものだった。
それでも私は胸を躍らせた。
そして私が中学1年生、初めて目にしたELT(=English Language Teacher)から、
海外に強い憧れを感じたように、なにか学生の心に残るようなことが伝えられればと思った。
初めての学校は、母校の小学校。しかも初めての授業は1、2年生。併せて20人にも満たない。
少し前に大きなランドセルを背負い、初めて校門をくぐった生徒も半数以上。
授業ではひらがな、カタカナを必死に学習している生徒たちに、いきなり中国語の
漢字を用いた授業は、いくら何でも難度が高すぎる。
そこで授業はまずは「視覚」で感じるものにしようとした。
「この地図、いつもみんなが見ている地図と違うけど、どこが違うかな?」
「漢字ばっかり!」
そう言って珍しがる生徒たちに、中国語は全て漢字を用いて書き表すことを説明した。
そしてただ単に単語を覚えるような授業をしても、面白みに欠け退屈するであろうと思い、
中国語を学習していなくても知っているような「ニーハオ」「シェシェ」「ザイジェン」
(你好(=こんにちは)、谢谢(=ありがとう)、再见(=さようなら)などの
単語を一緒に発音した。
そして、それらの単語を使いゲームのフルーツバスケットをした。
つまり通常ならばリンゴと言うところを「你好」、ミカンと言うところを「谢谢」と。
何度も同じ単語を繰り返し聞いたり、発音したりすることで「口と耳」で
中国語を体験してもらった。
さらに言葉だけでなく、文化にも触れてもらいたいとチャイナドレスを
男女問わず着てもらったり、私が中国でたくさん旅行した際に撮影した風景写真を
見てもらったりした。
授業はキラキラした目をした子供たちの、笑顔が溢れた。
私もとても幸せな時間だった。
その授業が好評を得て、市内の小学校、中学校、高校に授業をすることになる。
小学生でも学年が大きくなると、知的興奮を意識し、文化の部分も話しつつ中国語で
簡単な自己紹介ができるように導いた。
また中学生になると、自分の思春期と照らし合わせ、「外国語=英語だけではないこと」
「世界はとても大きいこと」を伝える内容にした。
高校では授業を割いての講演会となり、全校生徒の前で「進路」という話題を
織り交ぜながら話した。
また私自身が留学という目標(夢)を一時は見失ったが、思い続けること10年、国は違えど
その目標は叶えられたこと、願いは(たとえ形を変えたとしても)、思い続ければ
光が差し込んでくることなどを話した。
中国の大学院に入学するため、実際に市内学校の教壇に立てたのは半年であったが、
街中で生徒たちに出会えば「ニーハオの先生」と集まってきてくれることもあり、
本当に素晴らしい時間を過ごさせてもらった。
そして昨年、「ニーハオの先生お元気ですか?」と題した、見覚えのないルアドレスの
メールを受け取り、恐る恐る開いてみると…。
ニーハオの先生、お元気ですか?
私は以前、先生の中国語の授業を受けた××と申します。
先生のお母様から、このメールアドレスをお伺いしました。
この春から大学生です。専攻は中国語です。
……(中略)
いつの日か、ニーハオの先生みたいに、私も中国語の種を植えたいです。
がんばります。 再見!
そこには約10年前に植えた中国語の種が、これからまさに発芽しようとしていた。
私の次の目標(夢)は、中国語の種を1粒でも多くまくこと。
このブログを始めたきっかけも、中国のことに興味を持っていただけたなら、
そしてマスコミで報道されている偏った情報、操作された情報ではない、日本人の
私の目から見える生の中国を感じていただけたら、と思ったからである。
人間なので合う合わない、好き嫌いがあるのは仕方ない。
今ではどっぷり中国にはまっている私でさえも、中国の大地に降り立つまでは、
中国のことを見下していた。「どうせ中国でしょ」「だから中国なんでしょ」なんてことも
普通に思っていた。
恐れ多くも、もし私のブログから少しでも「ん?」と、以前とは違う何かを
感じていただけたならば、本当に光栄なことだと思う。
そして「もう少し中国のことを知ってみようかな」と思われたり、あるいは
中国を知ることにより、中国語にも興味を感じていただけたならば、中国語が好きな私にとって、
「それ以上の幸せはない」と思える程、嬉しいことである。
2月6日から10日にわたり、駆け足で自叙伝を書いてきた。
しかし今回では取り上げられなかった、幼いころのおてんば娘、中学時代のいじめ経験、
高校時代のクラブ活動、大学時代の〇〇等、まだまだお恥ずかしい部分、思わず笑って
しまうようなエピソード、涙するような体験がたくさんあり、もちろん留学時代のお話も、
1日かかっても話しきれない程てんこ盛りである。
それらはまたこのブログで、少しずつお話しできればと思っている。
本日をもって自叙伝は卒業となるが、私が一度学生生活を離れ就職した後、再度留学という
かたちを以って、学生生活に戻ったように「特別編」あるいは「Part2」として、
また皆様に「自叙伝」をお話しできることがある、かも知れない。
それらをオモシロ可笑しくご覧いただけるよう、今日からまた真剣に、そして真摯に中国と
二人三脚の生活をしていきたい、そんな気持ちでいっぱいである。
最後になりましたが、10回にわたりご高覧いただき、誠にありがとうございました。
この自叙伝を書くに当たり、迷っていた私の背中を押してくださった方が、お二人いらっしゃいます。たまたま小学校で教壇に立ったお話にご興味をいただけ、お話をさせていただいた後、本当に軽い気持ちで「私の自叙伝、もし書いたら読んでいただけそうですかね~」とお伺いしたところ、即答で「ぜひ、読みたいです!」と、心強くお気持ちをお聞かせくださいました。また語学コミュニティでこのやり取りをお話しした際、違う方からも投稿後すぐに「ぜひ!」とのお返事をいただき、そう言ってくださったお二人のために、と書き始めました。
結果、本当にたくさんの方にご覧いただけることになり、大変嬉しく、また心より感謝しております。さらに私自身、中国と中国語との出会い、結びつき、そして現在に至るまでの葛藤や喜びなどを再認識でき、書き始めたあの日から今日に至るまでの約1か月間、いろんな出来事を思い出しながら、充実した時間を過ごすことができました。
背中を押してくださいましたこのお二方には、この場をお借りいたしまして、御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。またこのお二人は海外で生活されていることもあり、海外ならではの悩みを話せる、私の大切な大切な同志です。お一人は中国語、お一人は韓国語とそれぞれの言語を武器に、ご活躍されていらっしゃいます。お二人とも素敵なブログをお持ちですので、ぜひそちらにも、足を運んでいただければと存じます。
- はーもりこ さん
来ました広州!近江おんなの日々是好日ブログ -
カオリ さん
カオリ@韓国語通訳翻訳者
明日からまた通常ブログに戻り、生の中国をお伝えしたいと思います。引き続きご愛顧いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。