ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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【質問箱】瀋陽はどんな街だと思いますか?

中国は昨日から清明節で3連休。

基本はご先祖様のお墓参り(扫墓、上坟)をし、親戚が集まる3連休でもある。

風習としては、中国でも「地獄の沙汰も金次第」で先祖供養のために、「纸钱」と呼ばれる

偽のお金を燃やしたり、「青团」と呼ばれる草団子を食べたりする。

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実は数日前、質問箱にこのようなご質問をいただいていた。

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こちらの質問については、特に真剣にお答えしたく、日々のバタバタから少し離れた

3連休の今日まで、お時間をいただいていたことに、心よりお詫びを申し上げたいと思う。

またとても素敵なご質問をいただけたことに、感謝の気持ちでいっぱいである。

 

まず中国は北京、上海、天津、そして瀋陽と生活をしたことがあり、

どの地域も良い思い出と、できれば思い出したくない思い出が混在する。

 

日本でも関東派と関西派に区切られたりするように、中国でも北京(北方)派と

上海(南方)派があり、食や気候、方言の違いは目に見え、耳に聞こえ、分かりやすい。

それに沿うように人々の性格の傾向も、北の方は大雑把で直球型、南の方は細かく婉曲型の方々が、

多いように感じている。

私の性格とも関係があるが、私が直球型の人間のため、誤解をなく伝えられるとすれば

南の方の婉曲型には少々苦労をするところがあり、大きな声では決して言えないが

選べるとすれば、私は北方派である。

 

しかし瀋陽に来る前は上海で生活していたこともあり、非常に便利な近代都市から

瀋陽という“発展途上地域”、特に今の居住地は、中心街の外れに位置することもあり

こちらに来たときは、留学と就職とでほぼ7年間中国で生活し、中国をある程度理解し、

慣れているつもりだった私も、当時は非常にとまどった。

(今から思えば、全く理解をしていなかったことが分かる。これはあくまでも

私の場合だが、就職ましてや留学では、なかなか中国世界に足を踏み入れづらいと思う。

結婚して家族付き合い、親戚付き合い、主人との友人付き合いを通じて、見える中国が

留学、就職時代に見えていたものとは、まったく別の顔をしていた)

 

上海では日系レストランも多く、日本のものもすぐに手に入る。

日系コンビニのおむすびも、ヤマザキのパンも、新鮮なお刺身だってすぐに食べられる。

また世界各国の文化も触れることができ、日本人、欧米人、アフリカ系の方も多く、

眠らない、非常に刺激的な街である。

 

それに引き替え、今になって話せることだが、埃っぽく、荒っぽく野暮ったい、

(今は見違えるほど改善されたが)サービス業の「サ」の字も知らない店員たち。

それでいてフレンドリーと言う名の、ずかずかと人のテリトリーに入ってくる方が多く

正直「大変なところに来てしまった」と言うのが、瀋陽に来て1年ぐらいの感想である。

(ご質問をくださった方、瀋陽ファンの方、ごめんなさい。でもまだ続きがあります)

 

この落ち込み具合は、先日の質問箱の返答でも簡単に紹介しているので、もしよろしければ

ぜひ一読いただければ幸いである。

 

そんなネガティブ感情から、今のポジティブ感情に変わってきた理由は、

瀋陽人の主人が私のネガティブな感情を理解し、無理に私の気持ちを変えようとはせず

「あくまでも自然な流れで」と、私自身が気づくまで成長を見守ってくれたこと。

子供が生まれたことで、瀋陽という街で生きていくことを私も覚悟したこと。

瀋陽の街自体が日々進化していることなど、たくさんの理由がある。

 

今では留学時代の「北京」を追い越し、第2の故郷とさえも思うほど愛着を持っている。

北京にも思入れがあるが、今北京に引っ越さなければならないとなると、非常に心が痛く

瀋陽から離れがたいと思う。

 

実は今日も、売却したマンションで私たちの棟(合計18階)を毎日キレイに清掃を

してくれている管理会社のおばさんに、よくしてもらったお礼をしに家族3人で訪れた。

いつも出会えば「おはよう」「ご飯は食べた?」「どこ行くの?」「仕事かい?」と

声をかけてくれ、時には世間話をし、我が子のことを気にかけてくれた。

断水になれば水汲みを手伝ってくれ、停電の事前告知を知らせてくれたりもした。

 

不必要な混乱を避けるため「(中国)南方人」で通していたが、今日日本人であることを

伝えると「地元民だとは思わなかったけど。そうだったのかい、全然気づかなかった。

歴史教科書やテレビで『小日本人(侮辱語)』とよく見たり聞いたりするけれど、

私はあなたと一緒に過ごせたこと、あなたを通して見えた“日本人”に、とても親近感があり

こんな清掃員の一人に対しても、真摯に接してくれたことを非常に感謝している」と

手を握り、涙ながらに思いを伝えてくれた。

私もさることながら、隣でいた主人も、胸が熱くなるのを感じた。

 

こういう「気持ち」を大切にする、熱い方が多いのも、瀋陽が好きな理由の一つである。

 


 

もちろん人の感情は、ずっとポジティブが続くわけではない。

時にはネガティブな感情が、心を渦巻くこともあるだろう。

しかし私はやはり、この瀋陽という“埃っぽく、荒っぽく野暮ったい”街が大好きだ。

 

この気持ちを明日への原動力として、これからも瀋陽の風を思いっきり浴びながら、

この街で生活していきたいと思う。

 

最後に愛するご主人のために、この瀋陽に中国語ほぼゼロベースで、幼いお子様を抱え

目まぐるしく移りゆく瀋陽の生活を、面白おかしく、時にはホロッとさせられる文章で、

お書きになった、高田ともみさんの著書『中国的「今を生きる」生活。』をご紹介したいと思う。

中国的「今を生きる」生活。

中国的「今を生きる」生活。

 

ライターさんとのこともあり、文章の運びがなめらかで、共感する部分も非常に多く、 

これから瀋陽を拠点とされる方、今すでに拠点とされていらっしゃる方、過去に拠点と

されていらっしゃった方だけでなく、中国にゆかりのある方なら、思わず「そうそう!」と

首を縦に振りながら読んでしまう1冊だと思う。

 

最後にご質問の答えを一言で表すなら、「素敵な街」だと私は思う。