中国にゆかりのある「人と人」「人と情報」をつなげたいと、先月から新企画として
稼働し始めた「情熱中国」。
(※決してパクリなどはしておりません。もとが良いので敬意を表し、少々拝借しているだけです。)
これまでにaxin@上海さん、高田ともみさん、後藤ゆかりさんにご協力をいただき、
いずれの回も多くの方にご覧いただけた。
さて、本日第4回目のゲストは上海に留学、駐在をご経験された後、ご主人のお仕事で
3度目の上海生活へ。9年間異国での育児に奮闘され、今年3月に完全帰国をされた、
ねね@上海で子育て9年→帰国 (@nenenotebook) | Twitterさん。
■3児のママ。2004年上海留学→中国越境EC担当&杭州・上海駐在→結婚退職→上海で育児9年→日本へ帰国。目下、上海育ちの子ども達をいかに日本に馴らすか?が課題(・・;)
■中国国家資格有→中国茶芸師高級、点心師初級
■タピオカ愛好
■日中子育て比較、主婦目線の中国ビジネスなど。ブログ「ねねの上海育児ノート」運営(http://nene01.hatenablog.com)
ねねさんとのご縁は、私が昨年8月にツイッターを始めた翌日に、早速フォローをしてくださった
ことから始まる。フォロワーが当時約2000人強。 こんな方にフォローしてもらえるなんて
大変光栄だなと感じた。
プロフィールやツイートから、2004年に初めて中国に留学されたご経験や、
仕事として中国と関わった時期、そして家族を支えるために再び上海へという立場の変化なども
私の経験に非常に似ており、長いお付き合いになればいいなと願いながら、すぐにフォローをした。
2004年と言えば、日中関係が緊迫している頃であり、「日本人」となかなか言い出せなかったり、
タクシー乗車拒否をされたり、時には反日デモなどが起き、嫌な思いもした頃である。
また私が上海で生活をしていた時に、ねねさんも上海に滞在されており、
街のどこかですれ違っていたかも、もしかしたらあのカフェで隣通しの席だったかもと
勝手に思いを巡らせては、思わず笑みがこぼれた。
ねねさんのツイートは、中国という異国の地で3人のお子様の育児を通しての日中比較、
中国の国家試験に合格されたほどの腕前を誇る中国スイーツ、そしてそれらの教室で
出逢った中国の先生や生徒とのやり取り。さらには非常に深い中国茶の知識など、
家事育児をされながら、時間を作り出してのツイートに、「なるほど!」と感嘆することが
非常に多い。
さらにご自身が中国生活で喜怒哀楽を体験したからこそ、日中両方の立場を考慮し、
少しでも両国間の誤解が解けるようにと、強い願いが込められていることが、文面を通して
伝わってくる。
それらの発言ができるねねさんは、鋭い観察力と分析力、そして目を背けたくなるような
事実であっても、きちんと向き合える勇敢さと逞しさ、そして自分と言う「核」を
きちんとお持ちの方なのだ。
娘たち、外で注意されてる子を見る度に私に質問してくる。
— 寧々@茉莉商店店長 (@nenenotebook) 2019年4月10日
「あの子何であんなに怒られるの?」
「日本って厳しいのかな?」
上海でも注意されてる子はいるけど、誰が見ても悪いことしてたりだから、一挙一動に対して細かく注意するって見慣れていなくて。説明しても、「それ怒ること?」と(^.^;
あんまり厳しくすると他人にも厳しくなるし。長女に厳しく言ったことは、長女から次女に同じように伝わり、しかも本意を理解しないでただストレスのはけ口みたいな物言いになっちゃってるのを見ると、厳しくしつけた所で親の意図は大して伝わってないんだろうなと思う。
— 寧々@茉莉商店店長 (@nenenotebook) 2019年4月17日
RT 日本はベンチ少ないと思います。外だけじゃなく、ショッピングモールの子ども遊ばせる場所も、保護者が休憩するスペースがあまりないですね。基本的にみんな子どもの側に立って子どもをずっと見てるような‥?上海のプレイルームだと保護者席あるので夫婦交代で子ども見て休憩して珈琲飲んでた(^^;
— 寧々@茉莉商店店長 (@nenenotebook) 2019年4月24日
また学生、駐在員、親として、それぞれ違う立場から中国と関わり、上海に滞在されたご経験を
お持ちである。
時には日本にいる同期が、着実にキャリアを積んでいく姿を見て苦悩されたり、
駐在員の妻として、自分の居場所やキャリアの再編成の問題に、直面されたりもした。
しかしそれらの経験で、居心地のよい自らの住処に入り込んでしまうのではなく、
同じような状況や悩みを持つ方々に、「少しでも自分の経験が役に立てば」と発信を
続けられるそのお姿は、優しく、そして本当に美しい。
就職を意識しない考え方になってから、中国語能力(HSK)を就職の武器に使おうという気もなくなりました。どうせ現場経験の伴わないHSK高級はあまり評価されないし、それよりも、中国語がある程度理解できるようになったら、さらに専門分野を学べる楽しさがある!ということに気付いたのです。
— 寧々@茉莉商店店長 (@nenenotebook) 2019年5月11日
もとはIT会社なので、ツテを使えばリモートワークもできたかもしれません。でもあえてそっちを選ばなかったのは、これを機会に新しい働き方を模索したかったから。子どもが2人、3人と増えるにつれその気持ちは強くなり、会社勤めで正社員フルタイムだけが社会復帰じゃないと思うようになりました。
— 寧々@茉莉商店店長 (@nenenotebook) 2019年5月11日
また排他的になりそうな中国生活の中から、 中国国家資格である中国茶芸師高級や、
点心師初級を取得されたように、新しいことを受け入れ、自分のものにしていこう、
「人生に少しでも微笑みを!」という気持ちを、いつもお持ちなのだ。
人を変えようとするんじゃなくて、仕組みを変えて人に変化を与える、というのも中国で学びました😂
— 寧々@茉莉商店店長 (@nenenotebook) 2019年5月12日
それでは日本と中国両国を冷静に分析され発信し続ける、そしてそれぞれの立場から
見えた中国を、ねねさんのお言葉で語っていただいたので、ぜひご覧いただきたい。
この度はインタビューにご参加いただきありがとうございます。
早速ですが、まずねねさんにとって「中国」は、どんな存在でしょうか?
時々大嫌いになるけど心の内では、ずっと大好きな熱愛中の恋人みたいな存在です。
私も「老夫婦」みたいに思っています(笑) 情があるという感じでしょうか、カチンとくることもありますが、嫌いになれない存在です。
ねねさんは学生、社会人、家族を支える立場で中国に滞在されましたが、この3つの立場について、異なる点などをお聞かせいただけないでしょうか?
まず学生の時は、純粋に文化交流ができるということが一番だと思います。
初めて上海を訪れたのは2004年、19歳の頃で、社会的にはまだ親に守られる立場でした。そのため責任やプレッシャーがなく、良い意味で気楽に中国に入っていけたと思います。若さ故の適応力もうまく働き、どんどん中国の生活に馴染んでいき、中国の方々と毎日話し、一緒にご飯を食べ、仲を深めていきました。
留学中にできた中国人の友人とは、15年経った今でも交流が続いています。こうして長く付き合えるのは、何の損得勘定もなく、お互い学生の頃に純粋に「友達」になれたからこそだと思います。
中国語を学ぶことを目的として滞在し、中国人と文化交流ができるのは、学生ならではの強みです。
確かに私も北京留学時代、あのがむしゃらにいけた感じや、中国の生活にすんなりと入り込めたのは、学生という身分だったからだと思います。
それでは社会人として、駐在されていらしたときはどうでしたか?
中国とは良きパートナー、良きライバルとしてのバランスを保つ、といった感じでした。
24歳の頃、越境ECの事業立ち上げのため、中国に滞在することになりました。ちょうど日本の商品を、ネットを使って中国に売るというビジネスが増えてきた頃です。仕事を目的として中国に渡ると、使命、責任を強く感じ、毎日笑い合うだけの関係ではやっていけないことに気付きました。時ににらみ合い、時に手をとり合う。付き合い方が最も難しく感じた時です。
特によく考えていたのは、「自分は、日本人として何ができるか」「日本の強みは何か」「中国との違いは何か」など、両国の比較についてです。
単なる文化交流と違い、自分の働きに会社の利益が関わり、ひいては日本の利益に関わってくるとなると、中国人はパートナーでもあり、ライバルでもあるのです。この関係性の真髄を見る前に、仕事から離れてしまったのが残念ですが、自分が日本人だということを強く意識したのが、この頃でした。
確かに学生のような、“純粋無垢”な付き合い方はできなくなってしまいました。また「常識」と思っていたことは、あくまでも日本人である私の範囲だと気付かされました。時に中国人の同僚とも、時に暖簾を押すような、つかみどころがなく、相手の気持ちが全く分からないということも経験し、私も人間関係にもずいぶん悩みました。
その後ご結婚され、今度は家族を支える立場として中国と接することになってはいかがでしたか?
今までと全く違い、「生活者として和を広げる」という接し方でした。
仕事を辞めた後、どうも上海には縁があるようで、主人の駐在でまたまた上海にやってきました。市場で野菜を買い、子どもを公園で遊ばせ、掃除をして、料理をして・・・と、特別なことはせず、中国の人が生活するのと同じように過ごしていました。
毎日同じサイクルの生活を何年も送っていると、よく顔を合わせる近所の人と話すようになり、挨拶や世間話をして、子育てについては意見交換をして、同じ生活者として肩を並べているような気持ちになりました。また子どもには日本語で教育をしていたので、完全に中国式の生活をすることはできませんが、できるだけ地域に溶け込んだ生活をすることで、中国の方々との和も広げることを大切にしてきました。
中国での生活は、平和なだけではありません。外国人に不利になるような事件やデモなどがあった時、こういった近所の方との信頼関係ができていると強みになるでしょう。地域に溶け込んで和を広げるというのは、学生の時からずっと心がけている事です。
今でこそ日中関係は温かな風が吹いていますが、辛い時期もありましたよね。また「普段から地域に溶け込む」というお気持。何か起こったその時のために、普段から信頼関係を築いておくことはとても大切だと、私も強く思います。
それでは中国で3人のお子様の育児をされましたが、心境の変化などはございましたか?
1人目の時は、日本の価値観に縛られて育児していた頃でした。中国にいても、日本的な母親観が抜けずにひとりで苦しんでいた記憶があります。 「日本人だからこうしなきゃ」と固執した考え方が、自分1人で過ごしていた頃には全くなかったのに、子どもを持つことで初めて生まれました。
2人目の時は、初めて中国で出産した事で、今まで囚われていた日本的な価値観から解放され始めました。「せっかく中国にいるんだから、自分らしく楽しもう!」と思えました。2人目出産を機に、家事育児だけをする生活を見直し、自分の時間を大切にして、点心師や中国茶の習い事を始めました。ただ、「家事育児は母親がしっかりやるべき」という強迫観念がなかなか抜けず、無理をしすぎていた面もあります。
3人目の時は、1人目、2人目の育児を頑張りすぎて心身を病んでしまったことから、産前産後のサポートを万全にして「自分が健康であること」を重視しました。自分を追い込んで育児していた数年間、横目で中国人の無理をしない育児をずっとうらやましく見ていました。でも3人目にして「何を羨ましく思う必要があるんだろう?自分も同じようにしたらいい。」と、ようやく思えたのです。辛かったら素直に「助けて」と言えるようになったこと。これは自分にとってすごい進歩で、中国で3人育てなければ体得できなかったと思います。
中国のママさんたちは、ご主人はもちろんのこと、ご自身のご両親、ご主人のご両親の大人6人体制で子供1人を見ている家庭がほとんどですもんね。夕食時、私が子供を外で遊ばせていると「奶奶(おばあちゃん)は今日何を作ってくれるのかな?」と子供に声をかけてくれる方が多いです。育児や家事は分担するという考えが普遍的ですよね。
育児に置いて日本と中国の環境の違いに、困ったことはありませんでしたか?
もともと学生の頃に中国で生活していたこともあり、母国と違う環境下で子育てすることに、そこまでの混乱はありませんでした。
食品や予防接種についての安全性はもちろん情報は調べますが、そこまで過度に「無農薬」「輸入品」などと考えずに、できる範囲でできることを、というスタンスでした。特に参考にしたのは中国の方の意見でした。日本人同士だと、全てに過剰反応してしまいがちですが、中国の方は注意するところとスルーするところを使い分けています。自分自身も過剰反応することでストレスになりますし、現地の人を否定する行動にもつながりかねません。そのため私の方針として、現地の人と同じように生活するというのが強かったので、過度に情報を得ることより、溶け込むことで得られるメリットを意識しました。
素晴らしいですね。頭では分かってはいるものの、それらを実行するとなると、本当に大変なことだと思います。お恥ずかしながら、実は私も現地の方々の反応に、過剰反応をして自分自身で追いこんでしまった時期がありました。今はその距離感を掴めるようになり、ずいぶん楽になってきました。
「溶け込む」というお話しが出てまいりましたが、中国国家試験を取得されたことも、中国の方の生活に溶け込みたいと思われたところもあるのではと、ふと思いました。それでは資格取得において、中国ならではのエピソードなどがあれば、お聞かせいただけないでしょうか?
点心師初級の資格試験の時のことです。実技試験当日、規定時間を大分過ぎたところで、ようやく試験開始されました。 周りはみんな中国人学生で、日本人は私達の教室から3人だけ。 試験官が興味を示して、私達のところへ近寄ってきます。「この包丁、日本の?」 「この小麦粉、どこで買ったの?」 時間制限もあり、全く余裕のない中で、質問の嵐! 適当にあしらいながらも、ずっと周囲の注目を集めたまま点心作りを続け、 時間ぎりぎりで制作を完了しました。 こちらの都合を気にせずマイペースに質問を続けてくるところが、中国らしいなと印象に残っています(笑)
点心師試験当日のエピソードについては、詳細に書き残した日記があるので、いつか私のブログで公開しようと思っています。その時まで、今しばらくお待ちくださいね。(ねねさんのブログ、『ねねの上海育児ノート』はこちらから)
試験中にもマイペースで語りかけてくる場面が、想像できます(笑)その様子がブログになる日を、今から大変心待ちにしております。
それではまだまだお話を続けていたいですが、最後にこれからの活動についてお聞かせいただけないでしょうか?
せっかく縁あって長い間中国と関わってきたので、これからも中国と関係することを生業にしていきたいというイメージ、ビジョンを描いています。
本日はありがとうございました。
こちらこそ、お忙しい中誠にありがとうございました。子育てにおいての気持ちの持ち方、「助けて」と声を上げる事、また「溶け込む」と言うことなど、私のこれからの育児に大きなヒントを頂戴しました。それでも煮詰まった時は、ぜひねねさんにも“ヘルプ”を出させてくださいね。
瀋陽はねねさんのお好きなお茶の産地ではないですが、次回瀋陽に来てくださった時のために、今から良いお茶屋さんを探しておきたいと思います。これからもどうぞ長いお付き合いを、よろしくお願いします。
このインタビューをお引き受けくださった時も、「誤解の多い中国について、親しみを
持ってもらいたいと思い、わかりやすい表現を心がけ、気持ちを込めてお伝えします」
と、お話ししてくださった。
ツイッターなどのやり取りでも、こちらの気持ちに寄り添い、理解しようとしてくださる
そのお心遣いや、一言一言にまで注意を払われるその行動は、相手への尊重と何かを
学び取りたいと思われる、謙虚で真摯な姿勢そのものだと感じる。
これからの日本での育児を通し、これまで以上に日本と中国を大切に思い、考え、
丁寧に比較論を述べると共に、両国についてのさまざまな発見とそれぞれの良さを再認識
できるような内容を発信してくれる、ねねさんに違いない。
私もこの『情熱中国』を通じ、いろいろな気付きを提供できるそんな企画にしていきたいと
思わせていただけた、そんな素敵なインタビューだった。
今後も中国(あるいは中国関連)で奮闘される方を取材、あるいはインタビューをし、「人と人」「人と情報」をつなげたいという理念のもと、有益な情報を皆さんにも共有していただけるような、そんな企画になればと思っております。
ある日突然、インタビュー依頼のご連絡が届いた方には、ぜひ今お持ちの専門性、独自性、影響力等の非常に価値のある情報やご経験、熱い思いを、存分にお伝えいただければと存じます。また逆に中国、あるいは中国語で「こんなことを知ってほしい、こんなことを伝えたい」という情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報いただければ、取材やインタビューをさせていただきたいと思います。
これからもこの企画をはじめ、ブログをご愛読いただければ幸いです。