ちゃーちゃん@中国

中国滞在10年以上の日本人女性から見える「生の中国」とは?



あなたの目には、中国はどのように映っていますか?

あなたが本当に知りたいことはなんですか?

影響力等は決してないですが、日本人と中国人の誤解が少しでも解ければと思って始めたブログです。



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【自叙伝】(1)幼少期~高校入学

お恥ずかしながら、中国への道をどう歩んできたか、お話しできればと思い

これから何日かに分け、自叙伝たるものを発表したいと思う。

 

 

留学から帰国し、日本で就職していた2009年。

ボランティアの中国語講師として、市内の小学校の教壇に立っていた私。

今回から連載で、この小さな物語をお伝えしたい。

 

まずそこに至るまでの私のバッググラウンドを、少しお話ししたい。

私が生まれた街は、その当時「〇〇町」と言われる一角で、ほぼ「村」と言える

大自然が溢れ、「のどか」という文字が似合う、小さな小さな“故郷”である。

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その村の小ささと言えば、小学校の全校生徒が50人を切る程で、各学年は1クラス。

町内の3つの小学校が1校に集まる中学校までの小学校6年間、そして保育園の2年間、

(規模が小さすぎるため幼稚園はなく保育園児と幼稚園児一体型のこども園だった)、

合計8年間、クラスメイトが一度も変わらず過ごした。

家族よりも長い時間を過ごしたクラスメイトは、今でも兄弟姉妹同然だ。

人数が少ないこともありお盆やお正月に実家に帰省すれば、誰ともなく連絡が来て、

みんなで集まる。懐かしく、心を許せる顔ぶれがそろう。

 

小学校の運動会ともなれば、村中のおじいちゃん、おばあちゃん、子供に至るまで

50メートルの直線距離があるかないかの小さな運動場に、みんなが集まり、

やれ家族対抗徒競走だ、やれ地区対抗借り物競争だと盛り上がる。

お昼のお弁当は、誰々の家の卵焼きがおいしいだの、あそこのお漬物が良いだの、

各家持ち寄ったお弁当をみんなで食べるかのような、そんな運動会だった。

 

祖父母、両親、兄夫婦も私も、みんなこの村の唯一の小学校を卒業し、

特に兄夫婦は保育園から高校卒業まで、学年は違えど共に学んだ間柄である。

 

村全体がまだまだ封建的な考えが主流だったため、我が家も例に違わず、

女の子は高校卒業で十分、勉強より家事、とにかく気立てよく、という環境だった。

またこの村で就職と言えば、町役場、学校の先生、農業という3本柱。

外国語ができると言えば英語の先生か通訳という、そんな選択肢しか、

村全体のみんなが考えられないような、そんな世界観だった。

 

そんな小さな狭い「世界」の中で育った私。

中学に上がり、担任が英語担当だったこともあり、しっかり勉強した科目であった。

それまでもちろんテレビでは、“外国人”も英語を話す人も見たことがあったが、

中学1年生の冬、ELT(=English Language Teacher)として1日だけ、

英語ネイティブが学校に来たことがあった。

 

生まれて初めて生でみた、外国の方だった。

帰り際、廊下を一人歩いていた先生に、人生最大の勇気をもって駆け寄り、

緊張で赤ら顔になり、体はブルブル震えながら、知っている単語を頭でフル回転させ、

やっとの思いで「サ、サイン。プ、プ、プリーズ」と言ったあの日。

 

先生は微笑みながら、差し出したノートを指差しながら、“on this..., come on !”と

さらに一言話させようと、促してくれた。

頭が真っ白になる中、先生の“pa…”というヒントを聞き、“p,p,pa,paper”と答えると

“Yes! paper!!! Good student”と褒め、ノートいっぱいにJane,Good Luck!と書いてくれた

 

それを部屋の壁に飾り、毎日眺めては英語の勉強をしていた中学時代。

クラブ活動で水泳部だった私。泳ぎながらも英語の歌詞を思い浮かべる程だった。

 

中学3年生の夏休み明け、進学相談の面談が行われる前夜。

「お母さん達は、お兄ちゃんのように▲▲高校に行って、電車通学のため早起きして、

好きなクラブもできず勉強で苦しんでいる姿は見たくないし、あなたは女の子だから、

(▲▲高校よりランクが下の)××高校で、クラブもしながら、そこそこ成績も良く、

穏やかに楽しい高校生活を送ってほしいの。××高校にしておきなさい!」 

両親が私を呼び正座をさせた後、話した一言だった。

 

本当は▲▲高校よりもさらにランクが上の、私立●●高校に行きたかったのだが、

田舎という環境のせいか、あるいは「良い子」でいたかっただけなのか、とにかく

親の言うことは絶対で、さらに1年生の時いじめに遭い親に迷惑をかけたという思いから、

翌日の面談で書いたのは××高校の名前だった。 

 

担任の先生も母親の元同僚で、母親の封建的な考えを知っているだけに

「××高校」第一希望と書かれた調査シートを見ながら、「▲▲高校も十分だけどなぁ」

と、一度言っただけだった。

これが私の人生において、1つ目のターニングポイントだった。

 

(次回に続く…) 

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