【前回のあらすじ】
大学3年生年明けから、取り組んだ就職活動。
将来「講師」になりたくて、人見知りを克服するためにあえて苦手分野を選んだ私。
そして運よく第一希望に内定。
就職活動終了宣言と共に、再び卒業論文に取り組み始める。
ほどなく中国に行けるかもというチャンスに出会う。
同時に、大学3年生の時に訪れた、Canada VancouverのChina townを思い出していた。
以前にも少し触れたが、志望大学であった外国語大学の第1希望、第2希望は見事全滅。
なんとか総合大学の外国語学部に入学した私。
自ら描いていた目標点とは程遠く、失意のうちに大学生活を過ごす一方で、大学名に
非常に強いコンプレックスを抱いていた。大学名を聞かれるのが本当に嫌だった。
また世の中は「失われた20年」と言われる程の不景気。超就職難と言われる時代。
そのため大学1年生の後期から「英会話、コンピューター、ワープロ」が三位一体と
なった資格スクールに通い、資格取得で大学名をカバーしようともがいていた。
そのスクールは日本の主要都市に設立され、合計11校あったように記憶している。
また「英語スカラシップ」と言う制度があり、一定単位を取得し、試験に合格すれば
低額でCanadaのUBC大学(The University of British Columbia)に夏休み中の3週間、
語学留学&ホームステイをさせてくれるというものであった。
テストを何名受験したかはわからないが、筆記テストと面接が行われ、結果全国11校から
17名が選抜され、運良くその1名の中に選ばれた。
そしてお盆を過ぎた頃、Canadaの地に降り立った。
高校2年生のニュージーランドのホームステイから、約4年。大学入試と月日のお陰で
あの頃よりも格段にコミュニケーションが取れるようになっていた。
しかし…。
それは語学教室、あるいはホストファミリーと言う守られた世界の中でだった。
またちょうどその頃、ニュージーランドの"twins"は、着々と英語の階段を駆け上がり
英検1級に合格し、有名翻訳会社のトライアウトにも合格したと聞いていた。
英語が好きで英語に関わるようなことができれば、と思っていたが、目の前の現実に
弱く脆い心は、どんどん、どんどんどんどん、苦しくなっていった。
そんなある日、留学中の授業アクティビティで帰りが遅くなった。
いつも乗るバスは、すでに最終バスが出発していた。仕方なく一旦ダウンタウンまで出て、
乗り換えて帰宅というルートを辿らなければならなかった。
地図とにらめっこしながら、家の近くに止まるバス停がある路線を探した。
ホストマザーにも「遅くなる」という連絡を入れるため、電話BOXもようやく見つけた。
けれど肝心の乗車すべきバス停が見つからない。
周りの人に尋ねるも、聞く人ごとに違う意見。辺りは一刻一刻と暗くなってくる。
どうやら道路が工事中で、バス停が少し移動されていたのだ。
手書きの張り紙があるような、超簡易的なバス停。そしてなかなか来ないバス。
不安で胸が押しつぶされそうな時、やっと来たバス。でも乗客は私とインド系の方のみ。
彼はこちらをギョロっとにらみ、その勢いで私を上から下まで見た。
バスは私の気持ちに構うことなく、軽快に走る。
路線が違うため、初めて見る風景。
ホストマザー曰く、大回りをするから1時間少し時間がかかるとは聞いていたが、
私に苔が生えるのではと思えるほど、その1時間は長く感じた。
一番前の席に座り、ドライバーに「××streetという駅で下してほしい」と伝えても
何の返事もない。基本、降車の合図は紐を引いて知らせなければならないのだ。
1時間を過ぎた頃、聞き覚えのあるストリートの名前が耳に入った。
一度ホストマザーと週末に買い物に出た時、通った道だった。
「あぁ、家の近くまで来たんだ」と思い、胸の重荷が少し軽くなった。
少し緊張が解けバスの中を見渡すと、乗客は私一人になっていた。
さらに10分ほど車を走らせたかと思うと、運転手のぶっきらぼうな声が耳に届く。
"Here!"
いつもはホームステイ先のブロックの北側バス停だが、今回は東側だった。
無事家に到着し、ホストマザーに抱きしめられたその温もりが、忘れられなかった。
同時に家の明るさとは真逆に、心はバスの中から見えた真っ暗なままだった。
英語と言う大きなつかみどころのない相手に、完全“敗訴”判決を下された気分だった。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、一緒にこのプログラムに参加していた3名から
週末に「China town」に行ってみないかと誘われた。
断る理由もなく、また頭の片隅でゼミナールの研究のことも頭をよぎり、一緒に
行くことにした。
当たり前だが英語と中国語(漢字)が並列して書かれていることや、
そのエリアで多く聞かれる言語が、中国語だったこと。カナダにあってそこだけが、
カナダで非ず、異空間の空気を放っていたことに衝撃を受けた。
またたまたま入ったレストラン(という名の「食堂」)で食べた中華料理。
なんとも自分の口に合い、すさんだ心が一気に暖かくなるような気がした。
「『China town』かぁ~」と、帰国したら横浜や神戸にも、足を運んでみようかなと思った。
この切り口で「Chinese American」を研究してみるのも、趣のあるものに仕上がるのでは?
という考えが浮かんでいた。
同時に「外国=言葉(外国語)=英語」と思い取り組んで来たが、突きつけられた事実は
実際に通用するレベルでは決してないということ。そして何より、ひとたび英語を使えば、
レベルの低さに劣等感を抱き、自分が楽しめない。ならば違う路を探すことも必要だ。
この先の英語はあくまでも趣味の範囲として、0ベースで就職活動も取り組む方が
良いのかもしれない。
英語敗北宣言をした、Canada短期留学でもあった。
(次回に続く…)