ちゃーちゃん@中国

中国滞在10年以上の日本人女性から見える「生の中国」とは?



あなたの目には、中国はどのように映っていますか?

あなたが本当に知りたいことはなんですか?

影響力等は決してないですが、日本人と中国人の誤解が少しでも解ければと思って始めたブログです。



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【自叙伝】(2)高校入学~2年生

【前回のあらすじ】

のどかな村で、すくすくと成長した私。

前回高校進学の面談で「××高校」第一希望と書き、親の気持ちに添った私。

そんな高校生活で起こった出来事とは?

  

無事××高校時代に入学し、憧れだったソフトボール部に入部。毎日明け暮れていた。

そんな1年生の夏、またしても担任の英語教師が、思わぬチャンスを紹介してくれた。

2年生の夏休みに、県から海外へ3週間のホームステイに派遣してくれるとのことだ。

しかも全費用は10万円という。

 

条件は2つ。まず学校代表に選ばれること。そして県の選抜試験に合格すること。

 

燃えた。

19時過ぎ、クラブ活動が終わり帰宅。夕ご飯を食べた後、夜遅くまで机に向かった。

そんな生活を約1年過ごし、2年生の春学校代表に無事選出された。

本試験のため論文を何度も書き、英語の面接練習もたまたま高校に来てくれていた

ネイティブの先生にお願いし、クラブ活動が始まる前の30分、毎日集中的に取り組んだ。

5月中間試験が終わったころ、派遣学生30人の枠を争うため、県庁の会議室の1室に

県下からの学校代表の高校生が集結した。

 

60分の論文試験の後、5人一組で英語の面接。

自信があったはずなのに、他の受験生に圧倒され、言葉が全く出てこない。

面接が終え退室。色んな意味で終わったなと思いつつ、私が最後の退出だったため、

全ての思いを込め、ドアの前で振り返り、勇気を振り絞って一言発した。

 

“I'm looking forward to seeing you again !” 

 

面接官の3人のうち、日本人の2人がアテンドで一緒に海外に行くことを

論文試験の前に伝えられいた。

「またお会いしたい=合格して一緒に海外に行く」という願いを込めて伝えた一言。

 

後日聞いた話だが、この一言が決め手となり、数日後無事合格の通知を手にしたのだ。

「面接を最後の最後まであきらめなかったその気持ちに、可能性を感じた」との

フィードバックが、学校へ届いたと担任が教えてくれた。

 

この合格に誰よりもビックリしたのは両親だった。

試験も「受けるよ~」ぐらいにしか伝えておらず、両親は英語検定試験ぐらいにしか

思っていなかったようだ。

 

これは私の作戦でもあった。海外と知ると拒否反応を示される可能性があったからだ。

格通知書を持ってくる娘を見て、「行って来い」と言うしかなかったのだろう。

「あの時は相当動揺していたぞ、両親」と、兄が成人を迎える頃に教えてくれた。

 

合格した30名は、事前に提出した派遣希望国をもとに2つに分けられ、

私はニュージーランド班へと振り分けられた。もう1班はカナダ班であった。

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2人1組でホームステイ先に滞在し、その相方は今でも強く深い絆で結ばれている。

彼女は県下でもトップ校の成績最優秀学生。帰国子女ではないが、高校2年生の時点で

すでに英検準1級を保持しているほどだった。

(その後彼女は私立では英語トップクラスの大学に推薦入学し、現在はドイツで

日英同時通訳として活躍中である。)

 

彼女はそれほど優秀であったが、傲慢な態度をとることは、これまでも一度もなく

同い年ながら「能ある鷹は爪を隠す」とはこういう事なんだと、身を持って知った人でもある。

ホームステイまでの約2か月、そしてホームステイ中、彼女に感化され英語漬けの日々。

彼女はいつも優しくサポートし、手取り足取り教えてくれた。

その最もたるものが「発音」。ネイティブでなければキレイな発音なんて絶対無理だ!

と思っていた私に、英語の発音の“仕方”を教えてくれたのだ。

 

ホームステイ中、彼女は私の勉強面を助け、私は彼女の精神面を支え

いつでも、どこに行くにも一緒に行動し、お互いがお互いを信頼している姿を見て、

ホストマザーは私たちに、こんな素敵な言葉を残してくれた。

 

"You look like twins.  You guys look just like each other !"

 

私は飛び上る程嬉しかった。でも隣を見ると私以上に喜んでくれている彼女の姿が

更に嬉しかった。

 

ニュージーランドでの素晴らしい思い出と共に、すっかり田舎学生に戻った私。

クラブ活動のソフトボールに汗を流す日々。

あたりは稲穂が刈り入れ時期を待つ頃、もともと持病があった腰が悪化。

約1か月半もの間、病院のベッドでの生活を余儀なくされる。後で知った話しだが、

両親には「もう歩けなくなる可能性もある」と、伝えられていたらしい。

 

そのころ目標にしていた理学療法士への道。

医師から「理学療法士は患者さんを抱えたりする必要もある。でも正直、君の腰の状態では

どちらが患者か分からないというのが現状。違う路をお勧めする」との一言。

 

暗い気持ちを抑え込み、退院後戻った学び舎。

玄関のエントランスの掲示板に貼られていた『高校生交換留学制度』の案内。

「これだ!」と思い応募しようと動き出した、高校2年生の晩秋。

これが私の人生において、2つ目のターニングポイントだった。

 

(次回に続く…) 

 

【自叙伝】(1)幼少期~高校入学 

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