昨日は9月18日。
柳条湖事件
柳条湖事件(りゅうじょうこじけん、中国語: 柳条湖事件)は満州事変の発端となる鉄道爆破事件。
1931年(昭和6年、民国20年)9月18日、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。
事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%9D%A1%E6%B9%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6
昨年の9月18日、これに関連づいた“ある事件”が起こり、ブログでもご紹介した。
ここ最近、VPNのつながりがすこぶる悪い。特に昨夜はほとんどつながらなかった。
「建国70周年を控えているから」という声があるが、昨夜は“9月18日”ということが
関係があるように感じた。
しかしネット上や私の周りでは、「“この件”では?」という声は少なかったように思う。
職場でパソコンのキーボードを叩いているとき、9月18日9時18分は訪れ、
サイレンが鳴り響いた。
50人ほどの従業員みんなが起立し、顧客と商談中の電話もそのままつながったままにし、
サイレンが鳴り終るまで黙祷をしていた。
会社のボスは軍隊出身ということもあり、こういう愛国活動は非常に力を入れている。
去年のこの日はオフィスでおらず、上海勤務の時の3年間はこのようなことはなかったため、
正直、一瞬たじろいだ。
いろんなことが頭を駆け巡り、私もみんなと同じように起立した方がいいのかも
とも思ったが、結局は立たずに自分の席で静かにしていた。
理由は二つ。
やはり自分は日本人であるということ。
そして、起立しなかったとしても“私が起立しないことを分かってくれる関係”を
これまでに築いてきていると思っていること。
昨年は幼稚園の担任から、国旗の前で敬礼する我が子の写真がWechatに送られてきた。
それに対して主人が怒りを感じた、ということがあった(詳しくは上記のブログ記事にて)。
この1年間、担任とはコミュニケーションをたくさんとり、
私が病気で送り迎えができなかった時は、わざわざ電話までくれ心配してくれるほど
信頼関係を築いてきた。
昨日、去年同様Wechatに関連写真が送られてくるかも…、とは思っていたが
結果はWechatの「朋友圈(=タイムライン)」に、
国旗に向かって、クラスの児童たちが敬礼する後姿を撮影した写真が1枚だけ、
他の楽しそうに遊ぶ写真に混ぜて、アップされてあっただけであった。
(幼稚園の父兄や経営者たちも、担任のタイムラインをチェックしているため
致し方ないこともたくさんある。)
北京留学をしていた2004年から約4年間、日中関係も緊迫していたこともあり
「日本人」と言うことで悲しい思い、悔しい思いもたくさんした。
2011年から約3年間の上海。外国人が物珍しくない街とあり、
また日本語でも生活ができるほど、日本人が多い「古北地域」などもあり、
日本人ということに、北京ほどの苦しさはなかった。
そして2015年からの瀋陽。以前満州国があり、多くの“傷跡”を残した地域でもあったため
日本人としてどんな生活になるのだろうと心配していたが、それらは全て杞憂だった。
瀋陽、東北地方の方々の懐の深さに守られ、毎日笑顔でいられることを
心から、本当にありがたく感じている。
国と国とのことなので、立場も違えば、捉え方も違う。
捉え方が違えば、感情は必ず変わってくる。
過去の出来事に顔をそむけてはならないこともある。学ばなければならないこともある。
それでもお互いが人として尊重し合い、生活に笑顔が溢れればと願っている。