ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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1931年、2018年、2019年9月18日 瀋陽にて

昨日は9月18日。

柳条湖事件

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん、中国語柳条湖事件)は満州事変の発端となる鉄道爆破事件

1931年昭和6年、民国20年)9月18日満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。

事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%9D%A1%E6%B9%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

昨年の9月18日、これに関連づいた“ある事件”が起こり、ブログでもご紹介した。

 

ここ最近、VPNのつながりがすこぶる悪い。特に昨夜はほとんどつながらなかった。

「建国70周年を控えているから」という声があるが、昨夜は“9月18日”ということが

関係があるように感じた。

しかしネット上や私の周りでは、「“この件”では?」という声は少なかったように思う。

 


 

職場でパソコンのキーボードを叩いているとき、9月18日9時18分は訪れ、

サイレンが鳴り響いた。

50人ほどの従業員みんなが起立し、顧客と商談中の電話もそのままつながったままにし、

サイレンが鳴り終るまで黙祷をしていた。

 

会社のボスは軍隊出身ということもあり、こういう愛国活動は非常に力を入れている。

去年のこの日はオフィスでおらず、上海勤務の時の3年間はこのようなことはなかったため、

正直、一瞬たじろいだ。

いろんなことが頭を駆け巡り、私もみんなと同じように起立した方がいいのかも

とも思ったが、結局は立たずに自分の席で静かにしていた。

 

理由は二つ。

やはり自分は日本人であるということ。

そして、起立しなかったとしても“私が起立しないことを分かってくれる関係”を

これまでに築いてきていると思っていること。

 


 

昨年は幼稚園の担任から、国旗の前で敬礼する我が子の写真がWechatに送られてきた。

それに対して主人が怒りを感じた、ということがあった(詳しくは上記のブログ記事にて)。

 

この1年間、担任とはコミュニケーションをたくさんとり、

私が病気で送り迎えができなかった時は、わざわざ電話までくれ心配してくれるほど

信頼関係を築いてきた。

昨日、去年同様Wechatに関連写真が送られてくるかも…、とは思っていたが

結果はWechatの「朋友圈(=タイムライン)」に、

国旗に向かって、クラスの児童たちが敬礼する後姿を撮影した写真が1枚だけ、

他の楽しそうに遊ぶ写真に混ぜて、アップされてあっただけであった。

(幼稚園の父兄や経営者たちも、担任のタイムラインをチェックしているため

致し方ないこともたくさんある。)

 

北京留学をしていた2004年から約4年間、日中関係も緊迫していたこともあり

「日本人」と言うことで悲しい思い、悔しい思いもたくさんした。

2011年から約3年間の上海。外国人が物珍しくない街とあり、

また日本語でも生活ができるほど、日本人が多い「古北地域」などもあり、

日本人ということに、北京ほどの苦しさはなかった。

そして2015年からの瀋陽。以前満州国があり、多くの“傷跡”を残した地域でもあったため

日本人としてどんな生活になるのだろうと心配していたが、それらは全て杞憂だった。

 

瀋陽、東北地方の方々の懐の深さに守られ、毎日笑顔でいられることを

心から、本当にありがたく感じている。

 

国と国とのことなので、立場も違えば、捉え方も違う。

捉え方が違えば、感情は必ず変わってくる。

過去の出来事に顔をそむけてはならないこともある。学ばなければならないこともある。

それでもお互いが人として尊重し合い、生活に笑顔が溢れればと願っている。

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