ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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『1931年9月18日』の件について、夫婦で話あったこと

先日投稿した『1931年9月18日』。

多くの方にご覧いただき、それぞれのご意見をお聞かせいただけたことに、

心から感謝を申し上げたい。

 

実は記事をUPした後、我が家でも夫婦間で話し合いがもたれた。

 

我が子が「勿忘国耻 振兴中华(国の恥を忘れず、中国を発展させる)」と

大きく描かれた画面が映し出されたスライドの前で、

「自分で塗った国旗」を手に持ち写真に納まった写真を、クラス主任の保育士が

私のWechatに送ってきたことが、主人の逆鱗に触れたのである。

 

「我が子の妻が日本人と知っていて、送ってきた。これは明らかに日本人の軽蔑だ!

明日主任保育士と話あう。場合によっては我が子のクラスを変えてもらう。」

 

私もあの写真を受け取ってから、気分がなぜか沈んだままだったのは事実。

私の気持ちを慮り、憤慨してくれたことに感謝をしつつ、

でも、この主人の意見は「違う!」と思った。

 

まず私だけに写真を送ってきてくれなかった方が、それこそ差別ではないだろうか?

主任保育士は「我が子が写っている写真」という、ただ単純な理由で

送ってくれたのではないだろうか?

また嫌な気持ちでお迎えの時間を迎えないため、夜遅めの時間に送ってくれたことも

私を気遣ってのことではないだろうか?

そもそもこども園全体で取り組んだイベントなので、クラスを変えたところで

結果は何も変わらず、主任保育士も園の趣旨に添っただけのことではないだろうか?

 

私は主任保育士ではないので、正直彼女の心境は分からない。

でも親として、これだけは言える。

 

我が子の周りに存在する、すべての問題や危険、予期もしないネガティブな出来事を

取り除いたり、そばにいて守ってあげることはできない。

だからこそ、「子供自身がそれらに立ち向かい、自分で判断できる力を養うこと。

それが我が子なら、きっとできると心から信じてあげること。」

それこそが、親として子供にしてあげるべきことではないだろうか。

 

父親が中国人、母親が日本人と言う両親の元に生まれた我が子。

日本と中国というどちらかの立場の意見だけを聞いていれば、

どちらの言い分も、それはきっと主観的であろう。

 

だからこそ“外国語”を勉強し、第三国はこの両国をどのように捉え、どのように感じ、

どんな風に行動に移しているかを、自分の目で確かめられる人になってほしい。

決して「××さんがこう言っていたから」「〇〇にあれが正しい書いてあるから」と

他人軸ではなく、自分軸で考えられるように導いてあげること。

 

これが一番の対処法で、親から子供に渡してあげられる「ギフト」ではないだろうか?

 

この私の意見に主人も激しく同意してくれ、私たち家族3名は新たな一歩を

手を取り合い、確実に踏み出した。

『2018年9月18日』、我が家にとっても記念日になった。

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