人間とは不思議な動物だ。
五感、特に嗅覚や視覚を使って、季節を感じたりする。
私は田舎育ちのため、冬の到来はいつも嗅覚だった。
秋になり広がる田んぼに稲穂が頭を垂れる。収穫の喜び、稲刈り、籾摺りが終わる。
その籾殻を燃やすあの匂いこそ、冬の到来を感じさせるものだった。
生活の拠点が瀋陽に移った今、もうあの籾殻の匂いはない。
しかし瀋陽には瀋陽なりの、冬の訪れを教えてくれるものがある。
今年の瀋陽はずいぶん長い秋だった。例年は2週間ほどで駆け抜けるが、
空高く、すがすがしい気候が1か月以上も続いている。
と言っても冬の気配は、もうすぐそこ。早朝の気温はマイナスの世界。
ついに昨日、冬の訪れを知らせる“使者”に出会う。
そう、瀋陽の冬の到来は視覚から入ってくるこの光景。
秋を惜しむ気持ちと、冬への覚悟が入り混じる。
東北の冬は長く厳しい。日中でも外は-20~25℃。もちろん野菜類の価格も高騰する。
そのため今のうちに買い込み、キムチや塩漬けなど保存できるものを作るのだ。
天日干しをしているのは、中にいる虫を追い出すため。
約半月ほどしたら、雨水や雪があたらない軒下に。
我が家は一つ一つを新聞紙でくるむが、普通はそのまま所狭しと積まれている。
また木々も虫が付かないようにと、手入れされる。
これらを見ると、自然と冬がまもなくやってくる。そんな気持ちがする。
今日の夜は、温かい鍋料理にでもしよう。