ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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我が子、人生初の資格試験に挑む

先日、我が子が人生で初めての資格試験に参加した。

 

午前10時半、試験が開始される。

当日の朝、我が子は朝食も普通に取り、機嫌よく会場に足を運んだ。

 

コロナの影響で、試験時間前の呼び出しまで会場に入れず

出入り口で待つように指示があった。

10時15分に本人確認があり、会場入りが許された。

 

5人1組でテストが行われるのだが、公平を重視するため公開制度が取られ

各試験参加者1人に対し、保護者1人ずつ会場入りすることを許された。

 

今回はテコンドーの進級試験。15分間で課題のセリフ発表や「型」を披露していく。

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我が子は緊張した様子もなく、試験を乗り切ってくれればと思っていた。

しかしやはり、”笑って円満に終了”とはいかないものである。

 

緊張しすぎたのか、あるいはそもそも試験という本当の意味が分かっていないのか

普段はしっかりと「型」通りに体を動かしていたが、

試験会場では気合の入らない、ダラダラとした「型」を披露。

見ているこちらがイラッとするほど、明らかに”不真面目”な「型」であった。

(少し補足すると、要求通りに「型」は行っているが肘が少し曲がっていたり、

蹴る力が弱かったりした)

 

甘いと言われるかもしれないが、私の考えは、

幼い頃(特に学生時代)に関しては、結果よりプロセスが大切だと思う。

合格したから良しではなく、また結果だけの判断で褒めたり叱ったりは、

非常に危険な要因を含んでいると感じている。

そのため例え不合格でも、それまでの努力やがんばりを

きちんと認めてあげたい。

 

逆に言えば、今回のこの”ダラダラ”。

我が子には「やらなければならない時は、きちんとやらなければならない」ということを

きちんと伝えられる機会となるため、あえて不合格にしてほしいとさえ思った。

 


 

 後日、母親とゆっくり話す機会があり、 今回のことを伝えると、

 母親はふと、ケラケラと笑い始めた。

 

「あなたも小さい頃、そんなことがあったわ。」

 

懐かしそうに思い出しながら語る母の中の幼い私。

3歳児健診で、いつもはスラスラと描ける「丸、三角、四角の図形」を

言われた順番で紙に書いてねと保健士さんに促されても、

断固として書かなかったらしい。

帰宅後、怒りのごとく怒る母に放った一言は

「だって、知らないひとだったんだもん」。

 

「あなたたち、やっぱり親子ね」と、母親は目じりを下げた。

 

我が子にとっても、人生初の試験で、しかも周りは見知らぬ大人ばかり。

普段教えてくれるコーチは、試験用の制服に着替え、マイク片手に指示を出していく。

我が子にとっては、3歳の私のように「完全アウェイ」だったのかもしれない。

 

そしておとつい、無事進級した色の帯が授与された。

これまでいくつもの授与式で、自分の分がないと泣いて悔しがった我が子。

初めて授与される側に回った喜びは、言葉では言い表し用がないほどだった。

 

そこから人が変わったように、「お片付け」や「宿題」にも力が入るようになった。

子どもであっても、いや、子どもだからこそ、まずは形から入ることも

非常に有効な手段だと改めて気づかされた。

 

また我が子が喜んでいる姿をみて、ふとあることを思い出した。

 

 

今回のように、これから我が子にとっても

全て”自然と”笑顔になれる結果ばかりではないだろう。

時には人を羨ましく、妬ましくさえ思うことも…。

そんな時程、その気持ちに向き合い、自分の本当の気持ちに気づいてほしい、

そのマイナスの感情は、いったい何から来ているのかを。

 

もちろんそのことを、私自身でも肝に銘じていたいと思う。