コロナウイルスの影響で、テレワークや自宅待機が多くなったため
今までの家族や夫婦の“程よい距離”が保てなくなり、DV(家庭内暴力)や離婚が
社会問題となっている。
少し前の記事になるが、上海閔行区では、3月15日の時点で
1か月先の4月15日までの「離婚手続ネット予約」の枠が、埋まっているという。
しかも上海だけでなく、記事によれば西安などでも同じような状況が起きている。
そういう我が家も今でこそ笑い話だが、コロナウイルス関連で、
「これは将来のことを、本気で考えなければ」と思うことがあった。
それは今年1月21日。
1月25日の春節を控え、主人はその日が仕事納め。
全ての仕事を終え、ウキウキで帰宅しところに私の一言。
「コロナウイルスが猛威を振るっているけれど、ご両親の天津へ行くのは、
ちょっと慎重になった方がいいのでは…。
一家団欒も大事なのは分かるけど、まずは命あってだと思う。
子供もまだ小さいのに、列車の密室移動で5時間は、とても危険じゃないかな。」
さらに、(今冷静に考えれば、もう少し言い方があったと思うが)
余計なひと言を言ってしまったのだ。
「義弟夫婦は医師でもあるのに、どうしてコロナウイルスの危険性を
もっと考えてくれないんだろう。もう一度天津行きを考えてほしい!」
(この一言が、家族のことを信用せずに、バカにしたと取られたようで)
言い終ると同時に、返ってきた言葉は
「俺のこの1年のがんばりを、何だと思ってるんだ!!!
家族に会えることを楽しみに、必死にがんばってきて、仕事収めをして
帰宅したと思ったら、その一言。
なんなんだよ! もういい!!! 俺と子供だけで、天津に行くから。
もうお前は日本に一人帰れ! そしてもう帰ってこなくていい」
そういって、部屋中の物をひっくり返し、
子供のおもちゃを蹴り飛ばし、部屋に閉じこもった。
「中国の方の“春節の一家団欒”の意味は、よく分かっているけれど、
子供のおもちゃにあたるとは…。」
幼稚な態度に言葉にならない憤りと、コロナウイルスの中、移動する事への不安、
話し合いにならない態度に
「将来の事も含めて、考えなければ」と初めて思った。
人は怒りがあまりにも強烈すぎると、それを相手にもぶつけようとせず、
淡々と次のなすべきものを考えるのだと、あの時初めて知った。
結局その夜は、主人に話しかけても、一言も返事せず、
なんだかんだ言っても、天津に行かなければ本当に離婚になるだろう、と思った
明日の移動に備え、とりあえず体を休ませなければと、ベッドに入った。
夜中お互い、寝返りを何度も打つのが分かった。
明け方、子供が「パパとちゃーちゃん、仲直り!!」と言われたのは
さすがに二人とも反省した。
昨夜は怒りで「天津に行かなくていい」と、主人は言ったものの、
それが本心でないことは分かっていたし、
私もここで意地をはり、天津に一緒に行かなければ、
本当に終わってしまうという気持ちもあった。
天津に到着しても、このままの冷戦状態を続ければ、ご両親の前で、
“仲の良い演技”はできないとお互いが考え、一旦仲直りをすることにした。
心のどこかでは、お互いがやはり必要と思っているのだろうし、
このことが、離婚への“一発KO”とならないように、
日頃からよくコミュニケーションを取っていることも、大いに役立った。
お互いモヤモヤした気持ちは少しあるものの、予約していたタクシーに乗り、
瀋陽駅に到着。
そこで目に入ってきたのは、多くの人がマスクをしている光景だった。
寒さ対策でマスクをすることはあるにせよ、瀋陽の人たちはあまりマスクをしない。
この情景を見て「これはケンカをしている場合ではない」と、お互いが思った。
どちらともなく、普段の私達に一気に戻った。
そして駅の中に入ると、さらに「新型コロナウイルス」を実感する。
他の駅売店は、お客でにぎわっているにも関わらず、武漢特産店は閑古鳥。
(世界保健機構(WHO)が2月11日、新型コロナウイルス感染症の正式名称を
「COVID-19(coronavirus disease 2019)」とすると発表した。
そのため1月22日では、中国でも武漢肺炎と呼ばれていた。)
私達親子3人も、人気を避けるように隅の方で待機し、改札口が開くそのときを待った。
主人はお土産を詰め込んだスーツケース2つを、私は子供をと手分けをし、
少しでも素早く動けるように協力し合った。
春節の移動ラッシュ時とあり、座席は満席。
天津までの約5時間。祈るような思いで指定席に座っていた。
天津駅に降り立った後も、少しプラットホームで時間を過ごし、
人ごみを避けるようにした。
改札口で、迎えに来てくれていた義弟の顔を見た時は、さすがに安堵した。
家族と一緒に過ごすために、アメリカから一時帰国していた義弟は
温泉旅行を始め、博物館見学、寺院めぐり、ショッピングなど、
私達と一緒に過ごす10日間のスケジュールを、事細かに立ててくれていた。
しかし、1月23日に武漢封鎖が行われたこと。
そして天津でのコロナウイルス感染者、感染者の行動範囲の情報などが
日に日に増えてくる中、全てのスケジュールをキャンセルし、
家で過ごしていた。
天津到着後3日目の午後。つまり1月25日。
天津市内の病院で内科医をしている、義弟の奥さんが
「病院情報で、これからどんどん患者が増えてくると思う。
まだ今なら動きが取れるから、すぐにでも瀋陽に戻られた方がいいのでは。
万が一新幹線が止まったりしては…」という一言。
すぐに「中国鉄路12306」サイトから、帰りのチケットの予約状況を確認した。
・中国鉄道のアプリ予約方法【鉄路12306携帯アプリ使用方法】
義弟が「人との接触を、できるだけ減らせるように。チケット代は僕が持つから」と、
ビジネスクラスの車両を、提案してくれた。
普段はお世話になることのない空間で、想像もつかなかったが、
二等車両、一等車両のさらに上級クラスであることは確かだった。
(https://zhidao.baidu.com/question/506196809.html)
義弟の奥さんが病院勤めと言うことも懸念し、
また70歳半ばのご両親と、まもなく3歳になる我が子の従兄弟。
家族の命を守るために、家族間の接触も少ない方がいいと決断し、
翌日の1月26日に、私達3人は瀋陽に戻ることにした。
従来の予定より、6日間以上早めに天津を後にする。
主人は「こんなことになるとは…。きみの判断はいつも正しいね。ごめんよ」と、
1月21日に大ゲンカをしたことを、改めて詫びてくれた。
私も喧嘩両成敗と、もうこれ以上話をぶり返す必要もないことを伝え、
それよりも帰りの新幹線の中で、いかに私たちの命を守るかを考えようと提案した。
朝ご飯を家族みんなで食べ、家族写真を撮り、天津の家を後にした。
義弟に天津西駅まで送ってもらう車中は、みんな無口だった。
義弟との別れも早々に駅の中に入り、そこに広がった光景は…。
駅の従業員以外、全く人通りがない。
その静けさに、身震いするぐらいだった。
外国人である私は、身分証がないため自動販売機でチケットを発券することができず
いそいそと窓口でチケットを発券してもらう。
改札口での待ち時間、一分一秒が非常に長く感じた。
そして改札口が開き、座席に向かう。どうやら先頭車両のようだ。
車両のドアが開き、一歩足を踏み入れビックリした。
なんと1車両に、5席しかないのだ。
しかもリクライニングシートで、完全に横になって眠ることも可能だった。
天津行きは二等車両で100席程あったが、帰りは5席。
今でいう「三密」を避けると言う意味では、気持ちはかなり楽になった。
またお弁当とスープが付いており、食べたいときに言ってくれれば
アツアツにしてお出しするとのこと。
もちろん車内で食べずにお持ち帰りもできると伝えてくれた。
約5時間新幹線に揺られ、 無事瀋陽駅に到着した。
スーツケースを引きずり、改札口まで来たところでふと目に入った
今まで一度も見たこともない光景。
それは防護服に身を包み「特別医療待機場所」と書かれたルームに、
医師らしき方が2人待機しているようすだった。
(http://finance.sina.com.cn/chanjing/cyxw/2020-04-02/doc-iimxxsth3180441.shtml)
瀋陽駅から出て、タクシーを捕まえようと思うが、まずタクシーがほとんどいない。
やっとの思いで乗り込み、車を走らせてもらうと、気づいた。
街全体が、非常に暗い。
いつもこの時期は、春節の挨拶や顔合わせで、レストランや街道が賑やかだ。
それがほとんどのレストランは営業しておらず、大型ショッピングセンターも休業。
タクシードライバー曰く「規制がかかっているからね」とのこと。
その異様な雰囲気に、子供が何かを感じたのか、その日から夜になると
私から離れなくなり、夜中何度も起きてしまうようになった。
その後は、団地の入り口も一か所に限られ、通るたびに体温を計られた。
また買い物は1家族一人だけ2時間、しかも2日に1度のみという制限で、
コロナウイルスの封じ込めをした。
最初まで話は戻るが、この新型コロナウイルスの影響で
今までこれほどまでに、一緒の時間を過ごすことがなかった夫婦が、
緊急事態という特別な状況の中で、一室という狭い空間で、
24時間常に一緒に生活をせざるを得なくなった。
行き場のない感情が生まれ、それを発散し処理することができない状況が起こっている。
日本でも、世界でも社会問題になりつつある。
肺炎と言う体の症状だけでなく、精神面においても、
早く新型コロナウイルスから“解放”され、
元の生活が戻ってくることを、願うばかりである。