ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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私には2歳違いの兄がいる。

兄は私と違い「地元派」で、外国語も海外も大の苦手。

保育園時代の初恋相手と7年間付き合い、結婚。今も地元で生活をしている。

 

今では仲の良い兄妹だが、幼いころは、顔を合わせれば喧嘩の日々。

祖母が「泣くから、いじめられるのよ」と、私を宥めたが

「大声で泣かないと、止めてもらえないから」と言い張ったという逸話がある。

 

ご近所だけでなく、校区内でも超有名なガキ大将。手下7人を引き連れ、毎日大暴れ。

昨日は〇〇さん宅のガラスを弁償、今日は××さん宅の庭になる柿を盗み食いしお詫び、

両親は日々近所だけでなく、遠くはよその学区先を訪れては頭をさげていた。

 

2歳違いの異性に加え、ガキ大将のやんちゃぶり。到底かなう相手ではなかった。

悔しくて、学校の教科書を破り捨ててやろうと思ったが、その後の報復が怖くて、

何度涙を飲んだだろう。

 

そんな関係に転機が訪れる。

 

兄は高校を卒業し、地元で就職。

就職先は1年間の研修があり、寮生活が始まった。

帰宅は週に1度だけ。帰ってくるたびに社会人の顔になっていく兄。頼もしかった。

離れたこともあり、お互いが兄妹のありがたさを感じ始めていた。

 

大学進学のため生まれて初めて親元を離れ、一人暮らしを始めた私。

ホームシックで涙が受話器をつたっても、「帰りたい」と絶対言わなかった。

夏休み。初めて地元に帰る時、兄が就職してから貯めたお金で買った新車に乗り、

最寄りの駅まで迎えに来てくれていた。

あとで母に聞いた話だが、兄は私を迎えに行くためにわざわざ有給を申請したらしい。

最寄り駅と言えども、「ど」が付くほどの田舎。駅から実家まで車で25分かかる。

兄と二人車に乗り込み、大学生活の話を聞いてくれ、たわいもない話をした。

まもなく実家に到着するというとき、兄がふと黙り込んだ。

そして言った一言。「今までよくがんばったな」。

何も言えなかった。

 

留学を決意したとき、一番初めに伝えたのは兄だった。

何も言わなくても、資金をため、着々と準備をしていることを兄は知っていた。

就職すれば寿退職か、定年退職までと考えている父と祖母は、留学に猛反対し

「どうしても行きたいと言うなら、親子の縁を切っていけ」とまで言われた。

そんな時、すでに結婚で実家を出た兄が、実家にスーツを着てやってきた。

「あいつは俺と違い可能性があります。あいつは弱い自分に負けたりしません。

それに留学に向けて、一生懸命準備をしていました。思いつきではありません。

俺はずっと地元にいて、両親の老後の面倒を見るつもりでいます。

だからどうかあいつを、中国に行かせてあげてください。」と、父と祖母に頭を下げ、

説得してくれた。

 

主人と結婚するとき、どんなに離れていてもせめて日本で居てほしいと思う親心。

それが文化も言葉も違う中国に、嫁ぐと言い出す娘。

「何かあっても助けに行ってあげられないね」と言って、静かに涙する母。

そんな時「お前が通訳しては、話を盛っていると思われるかもしれないから」と

兄は自ら通訳さんを探してきて、主人と二人っきりの話し合いの場を設けた。

 

奥の和室でこもること2時間。主人に話された兄と私の数々のエピソード。

 

  • 生まれたての妹を抱っこする近所の人に、『ぼくのいもうと、ここへおいて』と、返してくれと怒り、妹の傍を片時も離れなかったこと。
  • 小学校低学年、間違って棘の草むらに入った妹を、自分が血まみれになりながらも、抱っこして助け出したこと。
  • 高校でソフトボール部に入部した妹。一緒にキャッチボールができて嬉しかったこと。(兄は野球部で、小学生の時から約10年間続けていた)
  • 大学の合格発表の時、自分のことより緊張し、「合格」を聞いて涙が出たこと。
  • 妹の一人暮らし、そしてホームシック。泣いてることを隠しきれていない強がった声。それを聞いても、何もしてあげられなかったこと。
  • 就職は地元を選ばなかったこと。その時の鋭い目はすでに目標を見つめていたこと。
  • 留学したいと父に訴える姿。お互い譲らず、援護射撃をすべきだと悟ったこと。
  • これらのどれもが、兄である僕にとっては、妹の成長の証だったこと。

 

話終えた後、それまでの笑顔に変わり、真面目な顔で畳に頭を擦り付け、

「わがままで、未熟で、迷惑をかける妹だけど、僕にとっては誇りでもある妹を、

どうか、どうか大事にしてやってください」とお願いしたこと。

主人の意図を組み「娘さんをください。命をかけてお守りします」と言う日本語を

書いて教え、一緒に練習し和室に両親を呼び、共に両親に挨拶をしたこと。

 

兄も主人も「男同士の約束だから」と、どんな話をしたか教えてくれなかったが、

あとでこっそり通訳さんが「ステキなお兄さんですね」と言う言葉を添えて、

教えてくれた。

 


 

今回も、日本で急きょ手続きが必要なことが起こり、連絡を取った。

休日にも関わらず実家まで出向き、パソコンが苦手な両親に代わり、助けてくれた。

LINEで要件完了の通知を受け取った後、最後の一通にこんなことが書かれていた。

「おまえも異国で大変だろうけど、がんばれよ。旦那さんもいい人だし、大丈夫。

でも、困ったことがあったら、今回みたいにいつでも頼ってこい。俺は嬉しかったぞ。

こんな時は、こういえばいいのかな。『非常謝謝』。ハハハ」

 

いつも私を助け、支えてくれる兄。

もし兄がいなければ、こうやって中国にも来れず、主人とも出会えなかっただろう。

 

まもなく日本帰国。

兄の大好きな「蟹ミソ缶詰セット」を、いつもより多めにスーツケースに詰めた。

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おそらく、きっとまた「非常謝謝。ハハハ」というLINEが届くだろう。