ちゃーちゃん@中国

中国滞在10年以上の日本人女性から見える「生の中国」とは?



あなたの目には、中国はどのように映っていますか?

あなたが本当に知りたいことはなんですか?

影響力等は決してないですが、日本人と中国人の誤解が少しでも解ければと思って始めたブログです。



◆スポンサーリンク◆


私には2歳違いの兄がいる。

兄は私と違い「地元派」で、外国語も海外も大の苦手。

保育園時代の初恋相手と7年間付き合い、結婚。今も地元で生活をしている。

 

今では仲の良い兄妹だが、幼いころは、顔を合わせれば喧嘩の日々。

祖母が「泣くから、いじめられるのよ」と、私を宥めたが

「大声で泣かないと、止めてもらえないから」と言い張ったという逸話がある。

 

ご近所だけでなく、校区内でも超有名なガキ大将。手下7人を引き連れ、毎日大暴れ。

昨日は〇〇さん宅のガラスを弁償、今日は××さん宅の庭になる柿を盗み食いしお詫び、

両親は日々近所だけでなく、遠くはよその学区先を訪れては頭をさげていた。

 

2歳違いの異性に加え、ガキ大将のやんちゃぶり。到底かなう相手ではなかった。

悔しくて、学校の教科書を破り捨ててやろうと思ったが、その後の報復が怖くて、

何度涙を飲んだだろう。

 

そんな関係に転機が訪れる。

 

兄は高校を卒業し、地元で就職。

就職先は1年間の研修があり、寮生活が始まった。

帰宅は週に1度だけ。帰ってくるたびに社会人の顔になっていく兄。頼もしかった。

離れたこともあり、お互いが兄妹のありがたさを感じ始めていた。

 

大学進学のため生まれて初めて親元を離れ、一人暮らしを始めた私。

ホームシックで涙が受話器をつたっても、「帰りたい」と絶対言わなかった。

夏休み。初めて地元に帰る時、兄が就職してから貯めたお金で買った新車に乗り、

最寄りの駅まで迎えに来てくれていた。

あとで母に聞いた話だが、兄は私を迎えに行くためにわざわざ有給を申請したらしい。

最寄り駅と言えども、「ど」が付くほどの田舎。駅から実家まで車で25分かかる。

兄と二人車に乗り込み、大学生活の話を聞いてくれ、たわいもない話をした。

まもなく実家に到着するというとき、兄がふと黙り込んだ。

そして言った一言。「今までよくがんばったな」。

何も言えなかった。

 

留学を決意したとき、一番初めに伝えたのは兄だった。

何も言わなくても、資金をため、着々と準備をしていることを兄は知っていた。

就職すれば寿退職か、定年退職までと考えている父と祖母は、留学に猛反対し

「どうしても行きたいと言うなら、親子の縁を切っていけ」とまで言われた。

そんな時、すでに結婚で実家を出た兄が、実家にスーツを着てやってきた。

「あいつは俺と違い可能性があります。あいつは弱い自分に負けたりしません。

それに留学に向けて、一生懸命準備をしていました。思いつきではありません。

俺はずっと地元にいて、両親の老後の面倒を見るつもりでいます。

だからどうかあいつを、中国に行かせてあげてください。」と、父と祖母に頭を下げ、

説得してくれた。

 

主人と結婚するとき、どんなに離れていてもせめて日本で居てほしいと思う親心。

それが文化も言葉も違う中国に、嫁ぐと言い出す娘。

「何かあっても助けに行ってあげられないね」と言って、静かに涙する母。

そんな時「お前が通訳しては、話を盛っていると思われるかもしれないから」と

兄は自ら通訳さんを探してきて、主人と二人っきりの話し合いの場を設けた。

 

奥の和室でこもること2時間。主人に話された兄と私の数々のエピソード。

 

  • 生まれたての妹を抱っこする近所の人に、『ぼくのいもうと、ここへおいて』と、返してくれと怒り、妹の傍を片時も離れなかったこと。
  • 小学校低学年、間違って棘の草むらに入った妹を、自分が血まみれになりながらも、抱っこして助け出したこと。
  • 高校でソフトボール部に入部した妹。一緒にキャッチボールができて嬉しかったこと。(兄は野球部で、小学生の時から約10年間続けていた)
  • 大学の合格発表の時、自分のことより緊張し、「合格」を聞いて涙が出たこと。
  • 妹の一人暮らし、そしてホームシック。泣いてることを隠しきれていない強がった声。それを聞いても、何もしてあげられなかったこと。
  • 就職は地元を選ばなかったこと。その時の鋭い目はすでに目標を見つめていたこと。
  • 留学したいと父に訴える姿。お互い譲らず、援護射撃をすべきだと悟ったこと。
  • これらのどれもが、兄である僕にとっては、妹の成長の証だったこと。

 

話終えた後、それまでの笑顔に変わり、真面目な顔で畳に頭を擦り付け、

「わがままで、未熟で、迷惑をかける妹だけど、僕にとっては誇りでもある妹を、

どうか、どうか大事にしてやってください」とお願いしたこと。

主人の意図を組み「娘さんをください。命をかけてお守りします」と言う日本語を

書いて教え、一緒に練習し和室に両親を呼び、共に両親に挨拶をしたこと。

 

兄も主人も「男同士の約束だから」と、どんな話をしたか教えてくれなかったが、

あとでこっそり通訳さんが「ステキなお兄さんですね」と言う言葉を添えて、

教えてくれた。

 


 

今回も、日本で急きょ手続きが必要なことが起こり、連絡を取った。

休日にも関わらず実家まで出向き、パソコンが苦手な両親に代わり、助けてくれた。

LINEで要件完了の通知を受け取った後、最後の一通にこんなことが書かれていた。

「おまえも異国で大変だろうけど、がんばれよ。旦那さんもいい人だし、大丈夫。

でも、困ったことがあったら、今回みたいにいつでも頼ってこい。俺は嬉しかったぞ。

こんな時は、こういえばいいのかな。『非常謝謝』。ハハハ」

 

いつも私を助け、支えてくれる兄。

もし兄がいなければ、こうやって中国にも来れず、主人とも出会えなかっただろう。

 

まもなく日本帰国。

兄の大好きな「蟹ミソ缶詰セット」を、いつもより多めにスーツケースに詰めた。

f:id:chachan-china:20181028234542j:plain

おそらく、きっとまた「非常謝謝。ハハハ」というLINEが届くだろう。

◆スポンサーリンク◆


数あるブログの中から、私のブログをご覧いただき本当にありがとうございます。

今日も1日、素敵な日になりますように!

 

どうか本音をお聞かせください!

ご意見、ご質問はぜひ上記のコメント欄、もしくはメールまでお願いします。