中国にゆかりのある「人と人」「人と情報」をつなげたいという熱い思いから
始まった企画。その名も「情熱中国」。
(※決してパクリなどはしておりません。もとが良いので敬意を表し、少々拝借しているだけです。)
第9回目のゲストは、作文指導講師のはーもりこさん。
書くことは自分自身を知る事、をモットーとした作文の教室です。
作文の書き方を学ぶだけではなく、自分自身の気持ちと向き合い
言語化する習慣をみにつけながら、お子さまの表現力を育みます。
昨日の第1部に引き続き、中国滞在中にはーもりこさんが、
未来のご自身に“つないだ”ものとは?
それでは、早速ご覧いただきたいと思う。
よく勉強をしていて、分からないところに気付けるようになると、すごく進歩したと言われるように、その分からないところさえも、気付けない感覚に近いような気がしました。
中国に対しての考察があまりに浅かったと思います。でも中国の地に足を踏み入れ、接してくださる方々は、みなさんとてもお優しい。駐在の奥様方が口をそろえておっしゃるように、特に子供やご年配の方々に対しすごく温かいです。今までも、バスなどの公共機関で、何度助けていただいたことか…。
そういう温かなものに触れた時に、自分は中国に対して、とても偏った見方をしていたなと思い知らされました。
偏見を持っていたなと気が付かれたのは、いつぐらいでしたか?
割と初期ですね。中国に行く前に、私はこの国を好きになって帰りたいと思っていたんです。行ったことを後悔したくないというか、行くからには楽しく過ごしたいという思いです。さらには家族で一緒に乗り越えていこう、とも考えていました。そのためプラスに物事を見ようとは、いつも心がけていました。
良い面を見ようとしていたからかも知れませんが、到着後すぐ1か月、2か月の時点で、「本当に皆さん良い方たちばかり。ここに来て良かった」と思うようになっていました。もちろん、その思いは今も変わっていません。
どれだけ中国が好きであっても、嫌になる瞬間はあると思うのですが、はーもりこさんはいかがでしたか?
今に至るまで、負の思いはないですね。もしかしたら、そのぐらいの経験しかしていないのかも知れませんが、本当に嫌な思いや、嫌なことを言われた経験はなかったです。出逢った方々みなさんが親切でした。もちろん、色んな方がいたなとは思い出しますが(笑)。そのことによって、「もうこの国あり得ない!」などという怒りや、ネガティブな感情はありませんでした。
はーもりこさんは、もともと人をあまり嫌いにならないタイプのようにお見受けしています。
あー、どうでしょう。ならないかもしれません。いや、でもなるときもあります(笑)
「カチン」と来ても、しばらくすれば、「まぁまぁ、相手も色々あるよね」と思えるタイプだと、私は思っています。
そうおっしゃっていただけて光栄です。その人にも何か理由があるのだろうな、と思うようにしようと努めてはいます。できるだけ人との争いごとを、したくはないと思いますが、私もすごく怒るときもありますよ(笑)
人間ですもの。
今までのお話からも、はーもりこさんにとって中国生活は、本当に良い経験になったと思うのですが、ご家族のみなさまはいかがですか? またそれらの経験は、今後どのように人生を豊かにしてくれると思われますか?
本当に行ってよかった!という思いしかありません。この思いは主人にとっても、子供にとっても同じだと思います。娘は日系の幼稚園に行っていたので、中国語はわかりません。ただ漠然と感覚として、「日本という国以外に、さまざまな国がこの世界にはある」ということを、認識していると思います。その「感覚」があるかないかは、今後彼女が生きていく中で、大切なものに変わっていく気がします。私の6歳の頃なんて、地元の地域の外に目を向けたことが、はて、あったでしょうか…(笑)
私の6歳の頃。野山を駆けずりまわっている、おてんば少女でした。(笑)
私もあまり変わらないかもしれません(笑)。
また私自身、中国での経験によって、中国に関するニュースを見た時の姿勢が変わると思います。それと同時に日本と言う国を見る姿勢も、変わると思っています。一度日本を出てみて生活をすることで、一歩引いた客観的な立場から、物事を見ることができるようになると考えています。それは日本側から見る、あるいは中国側から見ると言うのではなく、そのどちらでもない第三者的な立場から、見られるようになってきたかなと感じています。
それらの捉え方ができるようになったことは、これからの人生において、良い影響を与えてくれるのではないでしょうか。
日本への見え方は、どのように変化しましたか?
そうですね、今回のコロナウイルスの件にしても、中国と比較をした上で、日本の現状を見ることができるようになりました。もし日本という一つの国しか知らない場合は、日本の現状だけを見てしまっていたかもしれません。その結果、日本政府への不満が募り、批判だけを繰り返している私だった、かも知れません。あるいは、中国を批判しているだけの私だったかも知れません。
中国の対策方法、日本の対策方法を比較することで、「唯一」あるいは「絶対的」な答えは出さないようになったのではないかな、と感じています。 そして中国が好きという思いが根底にあるため、これから中国の方に出逢い、何かを一緒に行っていくにしても、もっと豊かな人間関係を築けるのではないかと思います。
「価値観の多様性」を受け入れられるようになった、ということですね。
はい、それは間違いなくあります。
今回、コロナウイルスのやむ追えない状況で本帰国をされ、きちんと「さようなら」が言えなかった等、やり残されたこともあると思います。
では次回訪問された時は、どんなことをされたいですか?
実際にはできないかも知れませんが、やはりお世話になった人に、きちんと御礼を伝えたいです。
そうですね。ではその感謝を伝えるために、これからどんな準備をしていこうと思われていますか?
もちろん、中国語を学習し続けていたいですね。「日本に帰国してからの方が、中国語力は伸びたね」といわれるようにしたいと思っています。そしてなにより、今のこの思いを持ち続けていたいです。
さらに中国でやり残したことの1つに、本当は中国の大学に通いたかったんです。中国の大学でいろんな国出身の学生に交じり、対外漢語を勉強したいという夢です。ただどこかで神様が望んでくれるなら(笑)、いつか戻れるのではと思っています。
その夢が叶うと良いですね。
本当にそう思います。夢がもし実現できたなら、このような帰国の仕方にも意味があり、つながってくるのでは…、なんて考えています。これらの中国に残してしまった思いをいつか回収するためにも、これからも中国語学習を続けていきます。
素晴らしいですね。
少し話は飛びますが、今英語も勉強をされていて中国語と、英語の比重などはいかがですか?
言葉として、どちらの言語も好きなのですが、今はやはり中国語に重きを置いています。私は語学を学ぶこと自体が好きなので、これから状況により、比重や優先順位に変化があるかもしれませんが、どちらも学び続けると思います。
大学時代に専攻された、スワヒリ語はいかがですか?
やりたい気持ちはあるのですが、今そこまでは、手が回っていないですね。もしスワヒリ語までし始めると、もう訳が分からなくなっちゃうと思います(笑)
はーもりこさんが、国際会議でスワヒリ語から中国語に通訳をしているとなると、今まで以上に尊敬しますし、非常に興味深いです。
しかも日本人の私がですよ(笑)。スワヒリ語はそういう意味では、とてもユニークなので極めたいですね。
以前ブログで、スワヒリ語を専攻したのは在校生の入学案内に、「世界が100人の村だとして、99人が英語を話す世界において、たった1人の人間が使う言葉を学びに大学に来てください」というメッセージがあったからだと拝見しました。
渡中されるときに、英語やスワヒリ語に加え、中国語もマスターして唯一になりたいという思いはありましたか?
出発時はそういう思いはなく、中国語学習を始めたのは、まさに生活で必要だと思ったからでした。
ただ、最初の思いはそうだったかもしれませんが、途中から中国に来たからには、この中国語を使い、今後仕事ができるようになりたい。人生において「スキル」として役立てられるぐらいにはなっていたい、という思いはありました。
「こちら側の考えが、とにかく通じればいい」と言うのではなく、ある程度ものにして帰ってこよう、という思いがあったのですね。
そうですね。やはり語学が好きと言うこともあり、中国語をどうにか習得したいという強い思いがありましたし、その思いを自分自身でも強く意識していました。
主人の中国駐在が決定したとき、私はそれまで勤めていた会社を退職していたのですが、これから自分はどのようなキャリアを積み、どのような人生を歩んでいきたいかを常に考えていました。言い換えれば、「働きながらどのように生活をしていきたいのか」という思いが、ずっと頭の中にあり悩んでいました。幸いにしてこの中国滞在中に、これらの思いに真摯に向き合えたと思います。そのため、この駐在期間は自分を顧みる時間でもありました。
どんな答えが出ましたか?
う~ん。やはり1つは「書いて、深める、作文教室」を形にしたことだと思います。もちろん中国語をがんばろうと思ったのも、将来につなげようと思ったからですね。
中国語に真剣に取り組まれたその向こうに、何かが見えてくるのではと思われたのですね。
そうですね。そして見えてきたものは、言葉のプロになりたいという思いでした。
そうだったのですね。
先程、その言葉のプロになろうと思った派生が、「作文教室」だったとお話くださいましたが、その構成期間はどのぐらいでしたか?
この作文教室が形になったのは、ちょうど去年の秋、11月でした。形になるまで丸2年は要しました。「自分の持てる力を誰かのために使えるような、そんな生き方がしたい」というのが、私の根底にあります。それは大学生の時、アフリカを訪れたときからずっと心の中に存在しています。実際には、アフリカに訪れた際に偽善に気づかされ、自分に対する信頼感が、バキバキに折れてしまいました。
ブログでもお書きになっていらっしゃいましたね。
そうですね。それゆえ、「世界をよくする仕事がしたいと思う生き方」は、私には無理だと思ってしまいました。しかしその後も、心の底で問い続けている気がしていましたし、そういう思いが心の中にずっとあるのも否めませんでした。
なるほど。
しかし現実的には、何かに理由を付け、十分な行動ができていませんでした。そんな時に先ほどのお話になりますが、中国駐在期間中に「働き方」としっかりと向き合い、改めて人生をどう生きていくのかということを、問い直すことができました。試行錯誤の末、自分ができることをどのように社会に還元していけるかが、形になったのが作文教室でした。
素晴らしいですね。
作文教室をキックオフされてから、どんなことを感じられていますか?
書くことは、自己理解を深めることでもあると思います。私も小学校5年生ぐらいから、日記をつけています。それにより、その日の出来事や感情を言語化することが、知らずしらずに習慣化していました。
今でもずっと、日記を続けられていらっしゃるのですか?
毎日の更新ではないですし、内容が一行と言う日もありますが続けています。困ったことや悲しいことがあった時に、書きだし言語化することで、自分はこんな風に考えていたんだなと、なんとなくボヤっとしていた気持ちが明確になります。そこから次の一手が見えると言いますか、そうすることで、人生を主体的に生きられるようになるということが、常々感じていました。
私もそう思います。
もちろん人の幸せは人それぞれですが、自分なりの答えを導きだせるのは、やはり自分しかいないですよね。周りが「あんな風に言うから」「他の人がこうだから」という理由で、これが正しいと決めるのではなく、「何事も自分で選択をして、決定していく必要がある」。そしてこれこそが、生きるということなんだなと思います。そんな思いを、子供たちにも伝えていきたいなと思っています。
子供たちを通して、感じることはどんなことですか?
言葉のやり取りをすると、その子が感じている物事が輪郭を持ってきます。最初は「楽しかったです」だけだった表現が、「〇〇なのが、楽しかったです」と書けるようになり、その子の気持ちがよりはっきりと、浮かびあがってくる瞬間があります。その練習を繰り返し続けることで、自分で気持ちを明確化できるようになります。その先に、自分自身で自分の気持ちを整理することができるようになり、人生を決定できるようになるのではないかと思い、子供たちがそうなっていってくれることを願っています。
(第3部につづく)
今後も中国(あるいは中国関連)で奮闘される方を取材、あるいはインタビューをし、「人と人」「人と情報」をつなげたいという理念のもと、有益な情報を皆さんにも共有していただけるような、そんな企画になればと思っております。
ある日突然、インタビュー依頼のご連絡が届いた方には、ぜひ今お持ちの専門性、独自性、影響力等の非常に価値のある情報やご経験、熱い思いを、存分にお伝えいただければと存じます。また逆に中国、あるいは中国語で「こんなことを知ってほしい、こんなことを伝えたい」という情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報いただければ、取材やインタビューをさせていただきたいと思います。
これからもこの企画をはじめ、ブログをご愛読いただければ幸いです。