ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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情熱中国(9-1)【はーもりこさん・作文指導講師】

中国にゆかりのある「人と人」「人と情報」をつなげたいという熱い思いから

始まった企画。その名も「情熱中国」

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(※決してパクリなどはしておりません。もとが良いので敬意を表し、少々拝借しているだけです。)

 

前回のインタビューより、すでに季節が2つ移り行き、

今、全世界で起こっていることは、映画の中のことであって欲しいと願って止まない。

誰もが日々突きつけられる現実に、肩を落とし、真っ暗闇を歩いているようだが、

それでも状況を受け止め、力強く生き、この状況を試練とし、

更なる高みを目指す方々が、世の中にはたくさんいらっしゃる。

その方たちのがんばりは、暗雲が立ち込める中での光のごとく、とても美しい。

その光に導かれるように、私にできることは何だろうと考えた時、

思い浮かべるのは、この『情熱中国』のコンセプトである、

「人と人」「人と情報」をつなぐことだった。

 

これまでの『情熱中国』の記事はこちらをクリック

 


 

「つなぐ」というキーワードで、真っ先に思い浮かんだのが、

今回、9人目のゲストとしてご登場いただく、はーもりこさん

 

自己紹介の画像からもお感じいただけるように、

絶えない笑顔で、人を引き寄せ、つないでいく方である。

もちろん私も、はーもりこさんに“引き寄せられた”ひとりである。

 

出逢いは、前回8回目のゲストである井田綾さんが、開催される中国語音読会。

「学習歴2年程の中国語ですので、お恥ずかしい限りです」というお言葉からは

到底信じられない程の、素晴らしい音読を聞かせていただき、

私は、一気に「はーもりこワールド」に、引き寄せられてしまった。

 

大学時代にスワヒリ語を専攻され、アフリカにも滞在された経験をお持ちである。

そのバイタリティーと語学愛。

さらに人を引き寄せるキラキラ感に、私は非常に憧れている。

 

現在は、広州から完全帰国され、中国語関連のお仕事に携わりながら、

作文指導講師としての道も歩んでいらっしゃる。

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書くことは自分自身を知る事、をモットーとした作文の教室です。

作文の書き方を学ぶだけではなく、自分自身の気持ちと向き合い

言語化する習慣をみにつけながら、お子さまの表現力を育みます。

書いて深める、作文の教室

 

ブログにて、 体験コースご参加者のお声をお書きになっているが、

小さなヒントで文章が大きく変化することに

親子で気づけてとてもよかった。

と言うふうに、ここでも「作文と私」と言うだけでなく、

「親と子」さえも繋げていらっしゃる。

 

そんなはーもりこさんに、「中国と私」「中国を知る前と後」「言語と私」など

“つなげる”を1つのキーワードとして、インタビューをさせていただいた。

 

インタビューには、これから新しい言語を学んでみよう!と言う方に、

ヒントとなるような内容も、たくさんお話いただいた。

それでは早速、はーもりこさんへのインタビューをお楽しみいただきたいと思う。 

  


 

 この度はインタビューにご参加いただきありがとうございます。
 早速ですが、日本に帰国され約2か月が経ちましたが、いかがお過ごしですか?日本生活の感覚が、戻りつつありますか?

 こちらこそ、お呼びいただきありがとうございます。
 そうですね、もう随分戻りました。最初は私のブログなどでも書いていましたが、1月末に一時帰国だった予定が、コロナウイルスの影響で中国に戻れず、強制本帰国になってしまいました。そのため「どうして? なぜこの時期に限ってコロナウイルスが発生するのよ!!!」という、悲しみというか、やり場のない思いがありました。

 

 気持ちの消化不良、お辛いですよね。

 そうなんです。せっかく3年間楽しく中国で生活をしてきて、最後にみんなに「ありがとう」と伝え、スッキリ帰国をしようと思っていたのに、それさえもさせてもらえませんでした。きちんと「さようなら」も言えないまま、帰国せざるを得ない状況は、まるで何者かに否定されているかのような、そういう気持ちになってしまいました。

 

 私が最近思うことは、この世は「塞翁失马(=塞翁の馬)」だと言うことです。「御礼がきちんと言えなかった」というフラストレーションが、もしかすればお子様が「もう一度中国にお礼をいいたい、きちんと向き合いたい」と、留学をするキッカケになるかもしれないと思います。

 それが信義だと思います。きっとご縁があれば、いつの日か、必ずつながると信じています。また、これでつながる縁こそが、本物だとも思います。

 

 今でこそ、そういうお気持ちでいらっしゃいますが、ご主人の赴任先が「中国」とお聞きになられた時は、さぞビックリされたのではないでしょうか?

 それはすごく思いました。正直、「どうしよう、大丈夫かな…。家族を守れるのかな…。」という気持ちが大きかったです。

 

 今は一緒に行って良かった、と思われているのがひしひしと伝わってきます。

 本当にそれは感じています。

 

 私は中国ヘ行きたくて、能動的に渡中しましたが、はーもりこさんは始めは受動的と言いますか…。ご主人も「中国希望」という訳ではなかったのですか?

 そうです。私も主人さえも、青天の霹靂でした。

 

 ご主人も外国語学部出身でいらっしゃいましたし、いずれは海外赴任になるかも知れないという、心の準備はされていたかも知れませんが、「えぇ!?中国??」となったのではないかとお察しします。

 本当に(笑)。初めて耳にしたときは、日本の中国地方ですか?と言うぐらい、ビックリしました。

 

 当時の中国語レベルはいかがでしたか?

 全く分かりませんでした。誰でもご存じのカタカナ中国語、ニーハオ、シエシエぐらいです。また中国に対するイメージも、外国語大学出身というのが恥ずかしいぐらい、日本のメディアに影響されるところが大きく、 「中国、怖い…。やっていけるのかな」という思いしか、当時はなかったです。

 

 お子様はおいくつでしたか?

 渡中した頃は、すでに3歳になっていましたが、主人の辞令発表があったときはまだ2歳でした。そのため、子供の食事に対する不安がとても大きかったです。

 

 辞令発表後、渡中までの準備期間はどのぐらいありましたか?

 2016年の2月に辞令が発表され、3か月後にまずは主人が広州で生活を始めました。その後、私と子供は2017年2月に広州に行きました。 辞令が発表されてから、不安はありましたが不思議と「行かない。日本に残る」という選択肢はありませんでした。

 

 それは、中国の生活が面白そうと思ったからですか?

 そうですね。心のどこかで、中国生活を楽しもうというポジティブな気持ちがありました。

 

 今までも英語を習得され、大学でスワヒリ語を専攻、特にアフリカにも足を運ばれているというバイタリティーのあるはーもりこさんだからこそ、未知に対しての不安や恐怖よりも、好奇心の方が勝ったのではないでしょうか?

 それはあったかも知れませんね。怖くはあるけれど、行っておこうという気持ちが強かったですね。
 その辞令が発表された時、実は主人は日本でも単身赴任をしていました。そのため夫婦別々に生活をしていたため、ここで中国と日本と再度離れてしまっては、この先ずっと離れたままではと思うことも、中国へ行くことを後押ししてくれたのかもしれません。きっと神様が「もうそろそろ一緒に暮らしなさい」と働きかけてくれたように思えました。

 

 そうだったのですね。
 それでは帯同を決意された後、中国に出発されるまで、心の準備以外に具体的には、どんな準備をされましたか?

 主人の会社で、家族帯同での中国赴任者は第一号でした。そのため先輩駐在員奥様というような方がいらっしゃらなかったため、友人で中国滞在の方にご協力をいただきました。その方に相談にのっていただき、必要な荷物や準備方法などを教えていただきました。
 その他には、やはり言葉ですね。中国語を学習し始めました。2016年2月に辞令が出てから、夏に一度下見として夫の駐在している広州を訪れたのですが、この時中国語を勉強しなければならないと、切に感じました。

 

 言葉ができないという不自由性を、感じられたのですか?

 当初、主人は日本人がすごく少ないエリアに住んでいました。そのため私の周りには、人で溢れて返っているのに、私は誰とも話せないと言う孤独感を抱き、それが非常に苦しかったです。

 

 コミュニケーションが取れないという孤独感は、苦しいですよね。私も留学中に、皆の輪の中にいるのに、話せないというだけでなぜか、真っ暗なところにいる気がしました。
 その下見は、どのくらい滞在されたのですか?

 ノービザで滞在できる2週間だけでした。しかしこの2週間が、なぜかとても辛くて、辛くて…。もちろん生活基盤がないところに滞在するというのも、大きな理由の一つかも知れません。そこで帰国をしてから、一念発起し、中国語学習を始めました。

 

 その2週間の滞在は、お子様もご一緒でしたか?

 はい。初めての飛行機、初めての海外、彼女にとっては初めて尽くしの体験でした。

 

 お子様もよく頑張りましたね!
 実際広州に移り住んだのは2017年の2月と言うことですが、勉強し始めて約半年。当時の中国語レベルは、いかがでしたか?

 ピンインが読め、声調もほぼほぼきちんと発音できるぐらいのレベルでした。あとは“我要这个(=これをください)”などの、ごくごく簡単な会話ができたと思います。『ゼロからスタート中国語』という中国語テキストがあるのですが、赤い表紙の「文法編」と黄色い表紙の「応用文法編」は学習し終わっていたと思います。

 

 渡中された初期の頃、発音が通じなくて辛かったという経験はありましたか?

 発音については、幸いそんなに直されなかったですね。また日本の方がいつも衝撃を受ける“啊!?(=なに!?)”と言われることもあまりなく、おそらくみなさんお優しかったんだと思いますが、結構聞き取ってくださいました。そのため、「あぁ、私の発音全然ダメ。通じない…」となることも、打ちのめされることも、どちらもなかった記憶があります。

 

 コミュニケーションを取られていたのですね。

 そうですね。それなりですが、簡単なコミュニケーションがとれていました。

 

 私は留学当初、相手にされないという苦い経験があるので、始めは本当に話しかけることがとても怖かったです。

 もしかしたら、簡単に理解してもらえるぐらいの付き合いしかしていなかったかのもしれませんが、あまり苦い経験はせずに過ごすことができました。

 

 英語もお好きだったとのことですし、スワヒリ語も専攻されていたぐらいなので、もとも発音に対しては敏感で、語学において発音は基本中の基本で、非常に大事と思われていたのではないではないでしょうか?

 そうですね、それはありますね。発音はしっかりしなければと思っていたので、かなり練習をしてから中国に行きましたね。その時はテキストを中心に、コツコツと学んでいました。

 

 やはり発音はきちんとされてから、臨まれたんですね。

 はい、しっかりとやりました。
 とは言え、語彙力はまだまだ足りないため、現地に到着してからは、紙と鉛筆を持って街に出ていました。相手の言うことが分からない時は紙に書いてもらい、コミュニケーションを図っていました。

 

 そのコミュニケーション方法は、はーもりこさんにとって楽しい事だったのではないでしょうか?

 おっしゃる通りです。苦痛は全くありませんでした。むしろ見ず知らずの日本人が、紙と鉛筆を持って話かけてくることを、嫌がる方はいらっしゃらず、本当に親切に答えてくださる方ばかりでした。それがとても嬉しくて、中国語学習を続けることができたと思います。

 

 中国に対して、渡中されるまではマスコミの情報に踊らされる状況だったときもあったとのことですが、実際に行ってみて「想像していた中国とは違った」という感想を抱かれたのではないでしょうか?

 中国があんな国、こんな国と一言では言えないなと改めて気付きました。

 

 お恥ずかしながら、私は初めて中国に足を踏み入れるまで、ラストエンペラーの影響を受けたからか辮髪をしていたり、『大地の子』を見ていたからか、みなさんが人民服を着ているイメージが心のどこかでありました。そういう、とんでもないイメージではなかったとは思うのですが…。

 むしろそういうイメージすらない程、私の中には突如として現れた中国でした。
 中国に対して、深い考察ということは全くしておらず、ただただ漠然と不安でした。例えば中国の人はやれ声がでかい、やれマナーがなってない…。あるいは残留農薬をはじめとする食事に対する不安や、PM2.5などの大気汚染問題、外交問題など中国駐在に対して、なかなかポジティブになれない情報ばかりを、目にしていたのだと思います。また、それに対して特に疑問を持つこともなかったのです。

 

 「受動的な情報」という感じですか?

 そうですね、もっと極端に言えば「中国って、本当はどんな国だろう」ということすら、考えてこなかったのだということに、初めて気が付きました。 中国に対するイメージや関心がなかったと言えばうそですが、正直すぐには何か頭に浮かんでこない程、私の中では「無」に近い感覚でした。

 

(第2部につづく)

 

 ・情熱中国(9-2)【はーもりこさん・作文指導講師】

 ・情熱中国(9-3)【はーもりこさん・作文指導講師】

 


 

これまでの『情熱中国』の記事はこちらをクリック

 今後も中国(あるいは中国関連)で奮闘される方を取材、あるいはインタビューをし、「人と人」「人と情報」をつなげたいという理念のもと、有益な情報を皆さんにも共有していただけるような、そんな企画になればと思っております。

 ある日突然、インタビュー依頼のご連絡が届いた方には、ぜひ今お持ちの専門性、独自性、影響力等の非常に価値のある情報やご経験、熱い思いを、存分にお伝えいただければと存じます。また逆に中国、あるいは中国語で「こんなことを知ってほしい、こんなことを伝えたい」という情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報いただければ、取材やインタビューをさせていただきたいと思います。

 これからもこの企画をはじめ、ブログをご愛読いただければ幸いです。