「母は強し」
このコロナ禍でも、出産に臨む母親がたくさんいる。
彼女もその一人。
彼女とは、同い年の大学時代からの友で、出会いはカナダだった。
お互いあまり多くを語らないけれど、ふとしたしぐさで思いやりを感じられ、
無言で流れる時間も、とても居心地がいい間柄だ。
「不惑の年」も超え、高齢出産で初産。しかも中国上海という海外。
初期に少し出血があり、中国人の旦那様の理解のもと、
日本に一時帰国していたところに、このコロナ禍。
旦那様が日本入国ができなくなり、迎えに来てもらうことが不可となった日に
「このまま待っていても、結局一人で帰らなければいけないなら、早めに帰る」と、
急いでチケットを手配し、入国したのが幸い。
当時はホテルでの集団隔離ではなく、14日間の自宅隔離。
数日後の外国人の中国入国不可を免れた。
身重のからだでパスポートだけをもって、飛び乗った飛行機。
そのためリストアップしてあった出産&ベビー用品は
日本から、何一つ持ってはこれなかったとのこと。
それを聞いた私は、大切に取ってあった全ての出産&ベビー用品の荷造りを
主人に手伝ってもらった。
これらは第二子のためにと思ってのことだが、重ねる年齢の前に
どこかでその“願い”に区切りをつけなければ、ともずっと思っていた。
それ故に彼女にこのバトンをひきついでもらえればと、
夫婦二人で出した結論でもあった。
ベビーカー、チャイルドシート、ベビーバス(お風呂)、抱っこ紐等、大きいものから
哺乳瓶、未使用の搾乳機、未使用のベビー服、おっぱいケア用品、綿棒、石鹸、おむつ…
受け取った友人が、「買い足すものがなかった」という程の量で、
“願い”を全て受け取ってもらった。
彼女はきっとこれらを、本当に大切に使ってくれることが分かるし、
私も“願い”から、ある意味お別れを告げることができ、前を向けたと思えた。
中国は一般的に、出産後3日で退院し(帝王切開は5日)、その後すぐ
「月子中心(=産後ケアセンター)」で1か月過ごし、産後のケアを行う。
費用は2万元(=30万円)ぐらいから。
日本では「パパママ教室」などで、赤ちゃんの沐浴方法を学ぶが
中国ではこの1か月間で体を休め回復しつつ、赤ちゃんのケアについて学んでいく。
(と言っても、赤ちゃんのケアは基本はセンターの方々がしてくれ、
夜中の授乳もミルクならお願いできる。)
家族も同室で寝泊まりができるため、ほとんどの家族がケアセンターに入る。
私は日本から母親が応援にきてくれたこともあり、
主人も悪戦苦闘をしながらも、毎日沐浴やおむつ替えなど、積極的に関わってくれたため
産後ケアセンターにはお世話にならず、自宅で過ごした。
今まで産後ケアセンターには、お見舞いに行くぐらいだったため、
実際のところは、どんな感じなのかを友人に訪ねたところ、わざわざ動画を送ってくれた。
高級ホテルのある階がすべて、産後ケアセンターとして機能しているため
私が瀋陽でみたいずれよりも、きれいで清潔だと思った。
病院で自ら進んで手術台(分娩台)に上がるのは、妊婦さんだけである。
さらには「マラソン42.159kmを完走した感じ」と例えられる出産が終わると同時に、
今度はすぐ不眠不休の育児に入る。
乳腺炎で高熱にうなされながらも、頭にあるのはやはり子供のことである。
寝てくれたと麺を作り、食べようと思ったら泣き出す。
あやし、寝かしつけ、再び食べようと思ったときは、露なし麺になっていたことも
一度や二度でない。
「月子中心(=産後ケアセンター)」を卒業した彼女は
今まさに、そんな生活を送っている。
初産、高齢出産に加え、異国、コロナ禍という環境で、必死に子供と向き合う彼女。
まさに母は強しである。
今振り返ると、あの頃寝不足で、フラフラになりながらも、
必死で小さな命と向き合っていた、自分自身を褒めてあげたいと思うと同時に、
今なお私とわが子を必死に支えてくれている主人に、心より感謝を申し上げたい。