中国にゆかりのある「人と人」「人と情報」をつなげたいという熱い思いから
始まった企画。その名も「情熱中国」。
(※決してパクリなどはしておりません。もとが良いので敬意を表し、少々拝借しているだけです。)
前回初めて中国語でのインタビューに臨み、最後のメッセージ動画も
大変ご好評を賜り、この企画を始め、続けてきたことに喜びをかみしめたと同時に
今までご参加くださった7名の方々には、心からお礼を申し上げたい。
一時帰国などもありお恥ずかしながら、前回から約1か月半ほどお休みをいただいていた。
しかし水面下では熱い思いがあり、その溢れる情熱をぶつけるべく
満を持してご登場いただくのは、中国語発音矯正講師、中国語発音指導法講師である井田綾さん。
中国語の発音が気になるなら「りんず中国語ラボ」でクセ改善を
中国語をある程度マスターしたという方でも、発音に関する悩みは尽きないものです。中国語には独特の発音法があり、学習者一人一人もそれぞれ異なるクセを持っていることがほとんどです。中国語の発音に悩んでいる方は、りんず中国語ラボの講座をご利用ください。
スマホやパソコンがあれば、どこからでも利用できる、オンラインのプライベートレッスンをおこなっており、個々の受講生のスキルと目標に合わせた内容を提供しています。通訳として働きたい、仕事で中国語を使っているといった方も、適切な発音チェックを行い、矯正が必要な個所を明確にできるりんず中国語ラボをご利用ください。
今までも、私のブログで何度も取り上げさせていただいた
中国語音読サークル「玲瓏(りんろん)」の、主催者のお一人である。
綾さんとの出会いはこの音読会からで、Facebookなどでやり取りをさせていただきながら
毎月1度この音読会でお会いできるのを、いつも非常に楽しみにしている。
その期待度と言えば、1時間の音読会が終わるころには、次回の申し込み日を
スケジュール帳にチェックする程である。
綾さんの音読は華があり、それでいて凛としている。
その音読は音が溢れる現在社会のなかで、その音色に思わず耳を傾けてしまう
繊細でいて、けれど存在感があり、人を引き付けるオルゴールのようだ。
今まで中国語ノンネイティブの日本人でも、何名か「本当にノンネイティブ?」と
疑ってしまう程の方にお会いしてきたが、綾さんもそのお一人である。
発音矯正についてご相談をさせていただいた時や、綾さんの受講生の方と
お話しさせていただく中で感じることは、綾さんは「音が見える方」だということだ。
「先程の音は口の開け方が少し足りなかったので、さらに指ひとつ分大きく開けるように
意識をしましょう」と音源だけで、発音した状態を見事に言い当てる。
また矯正方法は口の形や舌の位置だけにとどまらず、姿勢にまで及ぶ。
「ちゃーちゃんさんが『a』の音が出しづらいのは…」と、私の姿勢の悪い癖から
的確なアドバイスを頂戴した。
まさに全身と言う「楽器」を使い、いかにきれいな音色を奏でられるかを
常に研究、試行錯誤され、それを楽しんでいらっしゃるかのようである。
さらには、以前のメルマガで「読書の虫でした」とお書きになっていたように
インタビュー中でも、言葉の魔術師という言葉がぴったり当てはまる程
ワードセンスと分の組み立て方の才能が溢れ出し、まさに「綾ワールド」の魅力が満載で、
時が経つのを忘れてしまう程だった。
それではその綾さんの創り出すワールド、中国語発音矯正への思い、受講生さんへの情熱、
そして中国語発音指導法への考えや願いが詰まったインタビューを、
早速体験していただきたいと思う。
この度はインタビューにご参加いただきありがとうございます。
早速ですが、もともと東洋史学のご専攻だったのに、なぜ中国語を今お仕事にされていらっしゃるのですか?
歴史の分野で研究者になろうと思い、最初から大学院に進むつもりでおりました。ただ研究を進める中で気づいたことは、職業の選択として研究者になり、自分で研究をするよりも、他の方が研究をしたものを受け取り、享受し、楽しむ方が好きだということでした。歴史の勉強は好きですが、それは知識を摂取する方が好きで、自分で新しい研究成果を発表していくということにはあまり情熱を注げませんでした。
それはずばり中国語に出会われたことによって、そうなったと思われますか?
出会わなければ、そうならなかったのかはわかりませんが…。
実は中国語を学んだのは、もともと仕事で使いたいという理由からではなく、教養として自分の国の言葉や文化のルーツを学びたいという思いからでした。
そうだったのですか。始まりは「教養として」だったのですね。それが今ではお仕事として中国語と関わられていらっしゃいますが、その経緯を少しお聞かせいただけませんか?
1991年に大学の第二外国語として中国語を勉強し始め、1993年大学2年生の終わりに初めて北京を訪れました。今でも忘れはしません。ある日ちょうど雨が降りだし、スーパーの店員さんに「雨衣(レインコート)が欲しい」と伝えるものの、全く通じないという苦い経験をしました。その時、「私の発音は、こんなにも通じないものなのか」という思いと、「訂正された発音は私の発音と同じじゃないか」と思っている自分がいました。今になれば、あの当時の発音レベルは“外国人が一生懸命話しているから、理解してもらえるレベル”だったと思います。
綾さんでもそういう時期があったのですね。では発音改善のために、何か特別なことをされましたか?
大学4年生の1994年、中国語の勉強にと1年時に使った『新汉语教程(北京語言大学出版社)』という教科書をじっくり読み直しました。この教科書は中国語と英語で解説されているため、学習当時は解説を精読するレベルもなく、ゆっくり目を通すこともなく、発音方法は先生からの説明で学びました。教科書を復習する過程で気づいたのですが、発音方法の全てがその教科書に記載されていたのです。
まさに目から鱗だったのですね。
そうなんです。例えば正確な発音のための舌の位置や口の動きなど、今まで知らなかった発音方法が非常に丁寧に記されており、その通りに発音すれば、きちんと中国語の音が発音できるようになったのです。そこで今までの発音は、違っていたのだと気が付きました。また修正を始めると、以前より通じやすくなったことを実感しました。
なるほど。第一次発音矯正ですね。
この第1次発音矯正を経て、1999年に歴史学や民俗学への理解をさらに深いものにしようと北京大学に留学をします。その時「発音がキレイだね」と、皆さんに褒めていただけるレベルになっていました。
北京では優秀な留学生にたくさん出会い、中国語を上手に話される方もたくさんいらっしゃる一方で、発音に関しては「う~ん…」と思うことも多く、発音のことはあまり知られていないのだと感じました。それで発音に関する興味が一気に増し、同時に発音に関するきちんとした知識があれば、発音は改善できるということに気が付くことにつながりました。以前ブログでもご紹介をしましたが、発音が悪い方というのは「発音が悪いのではなく、間違っている」のだと思います。
「発音が悪いのではなく、間違っている」。確かにそうですね。私も正しい発音ができるようになったとき、今までの発音の仕方は全く違ったと思うことがよくあります。また私も発音に関しては、留学中に同じようなことを思いました。その思いが、中国語発音矯正への興味の原点ですね。
発音に関する気づきがあってから、アナウンサーの普通語とアール化が入った北京語はどう違うか? 北京で同じように生活をしている中国人も四川や東北の訛りがあり、その訛りはどう違うのか? なぜこの方は二声の単語を四声で発音するのかなど、耳を澄ませずっと聞いているのがたまらなくおもしろかったのです。
おそらく、歴史学では感じられないまた別のおもしろさがあったのですね。
ある日、留学中の荷物を移すために、引っ越し業者にトラックを一台依頼しました。当日手助けに来てくれた留学生仲間3人と業者の方々が、1台のトラックの荷台に一緒に乗り、ひと時を過ごした経験があります。業者の方々はかなり手ごわい訛りの中国語を話され、留学生仲間からは「この方たちの中国語が、よく分かるね」と言われました(笑)。確かに私も最初は手こずりましたが、普段から発音に敏感だったこともあり、他の留学生仲間よりも早い段階で訛りのパターンを把握でき、理解ができたのだと思います。またこの出来事により、発音の研究が好きだと改めて気が付くことになります。
発音の道へ、ぐっと近づいた瞬間ですね。
そうですね。また発音のほかにこの頃、1997年からネット上で開催されていた翻訳学習会にも出会いました。学習会は毎週1度、中国語の課題文を日本語に訳し、メーリングリストで送るというものでした。メンバーは20名ほどを4名ずつの小グループに分け、その4名の提出課題に、必ずコメントをつけて返信するというものでした。この学習会への参加により、それまで一文一文の逐語和訳から、「翻訳」へと成長ができたと思います。また中国語辞書に載っている数ある言葉の意味の中から、どの日本語を選択するかという作業が非常に面白く感じました。日本語選びのセンスが光ると褒めてもらえることが翻訳に関する興味を加速させました。
そんな経緯もあり、当時はまだ研究者になりたい気持ちもある一方、翻訳者になりたい、中国語を教える仕事もしたいという気持ちが、日に日に大きくなっていきました。
そうだったのですね。中国語への思いが、どんどん色濃くなってきたのですね。
そうですね。博士課程のあいだに北京大学で民俗学を学んでいましたが、日本の大学院指導教授に「方向転換をしたくなりまして…」と連絡を入れました。
2001年に留学から戻り、アカデミックポストやフルタイム勤務に就くための就職活動はせず、あちらこちらに履歴書を送付し、中国語講師の職を探しました。
当時東京には、歴史もあり有名な中国語学校が日中学院、東亜学院、中国語研修学校、朝日中国文化学院と4校ありました。幸い2校から反応があり、面接に臨みました。最終的に中国語研修学校で、自校のクラスレッスンの他に企業研修への派遣講師として、中国語を教えました。また、企業派遣専門の研修会社にも採用していただき、採用前トレーニングを経て大手企業各社で教える経験を積むことができました。
ただその頃は、日中関係がだんだんと厳しい状況になってきた時期だと思うのですが、状況はいかがでしたか?
2004年頃に歴史のある学校でさえも閉校され、社会情勢の影響を受けることを目の当たりにし、衝撃を受けました。
(第2部につづく)
今後も中国(あるいは中国関連)で奮闘される方を取材、あるいはインタビューをし、「人と人」「人と情報」をつなげたいという理念のもと、有益な情報を皆さんにも共有していただけるような、そんな企画になればと思っております。
ある日突然、インタビュー依頼のご連絡が届いた方には、ぜひ今お持ちの専門性、独自性、影響力等の非常に価値のある情報やご経験、熱い思いを、存分にお伝えいただければと存じます。また逆に中国、あるいは中国語で「こんなことを知ってほしい、こんなことを伝えたい」という情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報いただければ、取材やインタビューをさせていただきたいと思います。
これからもこの企画をはじめ、ブログをご愛読いただければ幸いです。