ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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海外生活をするとは…

まずはこちらの絵画を、ご覧いただきたいと思います。

(目的のために一部を切り取った絵画であることを、ご了承ください)

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“常識”からすれば、男性に「攻撃の目」が向けられるかもしれません。

しかしこちらは、ピーデル・パウルルーベンスによって描かれた

『Cimon and Pero (Roman Charity) キモンとペロ(ローマの慈愛)』という作品です。

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 「ローマの慈愛(Roman Charity)」と呼ばれているこの物語は、父親に対する娘の献身的な愛を象徴しています。 時代は古代ローマまでさかのぼり、歴史家ワレリウス・マキシムスが書いた「忘れざる行為の9冊の書とローマ人の言葉」に記録されています。

 

 餓死の刑に処されている父親キモンは食糧を与えられず、死の寸前にありました。そこへ居場所を探し出した娘ペロが現れ、死にかけている父に自らの母乳を与えます。彼女の行為は看守によって発見されてしまいますが、この献身的な行為は看守の心を動かし、父親の解放を得ることができたとされています。

 http://mementmori-art.com/archives/24650902.html

www.musey.net

 


 

みなさんはご自身の“常識”を、疑われたことがありますか?

海外で生活をすると、自分の“常識”からは考えられないことが、

本当によく起こります。

 

例えば…。

中国の方は、なぜ「ありがとう」と言わないのでしょうか?

「ありがとう」を言うことで、相手と距離ができてしまうと思うからです。

中国では感謝の言葉は、あまり親しくない人(もしくはとても目上の人)への

言葉として認識されています。

そのため、親子や親戚間でも「ありがとう」は、まず言いません。

 

彼氏と一緒に、彼の実家に行き初めてご両親に会い、一緒にご飯を食べました。彼氏に帰り送ってもらうとき、「一緒にご飯を作らなかった」と言って怒られました。

ご両親に会いに行くとは、結婚を意識してのことです。そのため「お客様」ではなく、“家族”としての接し方が必要です。結果的に「あなたは座ってて」とお気遣いいただけたとしても、せめて「お手伝いしましょうか?」と、キッチンに向かうべきです。

日本では初めてご招待されご両親と会うときに、いきなりキッチンに立ち入ることは、

少々行き過ぎと取られてしまいがちです。

今でこそ、男性もキッチンに立つ家庭が増えてきていますが、

私の父の世代は「男子厨房に入るべからず」であったため、

キッチンは母にとっては“本丸”のような存在で、気安く他の人に入ってほしくない

という思いも重なる場所でもあります。

そのため遠慮をして、キッチンには立たなかったのですが、

文化が違えば、とらえ方も違ってきます。

 

少し話が異なりますが、

以前仕事から帰宅すると、私のクローゼット畳んでおいてあったはずの服を

義母が(勝手に)着ていました。

これは服を交換し合える程、本当の親子のように気を遣わない関係ということを

案に示している行動だと、相談に応じてくれた主人から教わりました。

 

返事は良いので仕事を任せておいたら、締切りを過ぎてもまだできていないことが多いんです。

こちらの出方を見て、優先順位を見極めていることもあります。

歴史や国情とも関係がありますが、トップダウンで全てが決定されます。

今まで「前進」だったものが、一夜明ければ「後退」になることも少なくありません。

そのため前もって念入りに準備してあったとしても、明日にはその企画自体が

消滅してしまうことも、往々にしてあり得ます。

「承知しました」と言って受け取りはするものの、その業務が本当に必要なものか

途中で変更され、骨折り損のくたびれ儲けにならないために、

すぐには取り掛からず、催促されるまでそのままにしておきます。

つまり催促される程であれば、その業務は実行され、無駄骨を折ることもないためです。

(国際化に伴い、留学を経験し他国の文化に触れたり、外資系も多く進出し、

期限を守れないと淘汰される社会になってきました。

期限厳守で、業務を遂行される方もたくさんいらっしゃいます)

 


 

 私自身も26年間日本で生活し、中国に飛び出したとはいえ、

学生、特に留学生や中国にある日系企業というコミュニティー内では、

実はそれほど「中国」に触れていたわけではないと、今更ですが思います。

 

結婚、妊娠、出産、子育てと経験していく中で、

私が日本人としての常識しか持ち合わせておらず、その物差しで

中国で起こる生活の全てを、判断していたと気づいたのは、

実はごく最近のことです。

 

上記の「義母が私の服を着ていた」“事件”には、その続きがあり、

義母は私がその習慣になれず、苦しんでいることを知るや否や、

その後、私の服を着ることはありません。

 

生まれた年の干支が、6回を数えそうな年齢になっても、

異国から嫁いできた息子の嫁に、自分たちの“常識”や文化を押し付けることなく、

逆に異文化を理解し、寄り添いたいと思ってくださるご両親に、

まさに、『Cimon and Pero (Roman Charity) キモンとペロ(ローマの慈愛)』

という作品のごとく、深い愛を感じずにはいられません。

 

外国語を学び、海外で楽しく生活をするというのは

ある意味で、「今までの“常識”を一旦白紙にできる勇気があるかどうか」に

かかっているのかもしれません。