ちゃーちゃん@中国瀋陽

オンライン中国語講師|中国語ネイティブの発音と、より楽しく学べる方法を模索中|漫才や“脱口秀”など、面白い事(言葉遊び)が大好きな関西人

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初志を思い出す

先月『情熱中国』でインタビューをさせていただいた、ゆかりんこと後藤ゆかりさん。

 

先日、ゆかりんさんと観光協会の周ちゃん、主人と私で少しお話をさせていただく機会があり

そのことについて、ゆかりんさんがこんな記事をお書きになっていた。

ameblo.jp

 

旦那様は中国語ネイティブ。
日本語はほとんどお分かりにならないとのこと。
横にちゃーちゃんがいてくださったので、助かりました。

というのは・・・

恥ずかしながら私、旦那様の仰ることをほとんど訳せなかったんです。

もう、どの面下げて「通訳です」って言っとんじゃー!!って感じ。

私達にとって、ものすごく新鮮で有益な情報をいっぱい話してくださったのに、そのほとんどをちゃーちゃんの通訳なしでは理解できなかったなんて、本当に情けない。

旦那様、決して難しい中国語を話された訳ではないんですよ。

もちろん、時折専門用語っぽい単語が入りましたが、単語そのものの意味はほとんど聞き取れたんです。

なのに、訳せない・・・

何故だろう?って、ずっと考えていたのですが、ようやく答えが見つかりました。

それは恐らく、初めて聞くジャンルだったから。
そして、私が先入観を持って聞いてしまったから。

実は旦那様のお話、かなり斬新的な内容もあり、私の概念の範疇から外れていた部分が多かったんです。

初めて聞く概念を、自分の知っている概念に脳内変換しちゃった結果だったように思います。

 

https://ameblo.jp/chuugokugo-tsuuyaku/entry-12468184694.htmlから抜粋。記事後半には、さらに「通訳」のヒントも掲載されていらっしゃるので、ぜひご覧いただきたいと思います。)

 

まず私たち夫婦の話に、真剣に耳を傾けてくださったことに、心より感謝申し上げたい。

そして「ちゃーちゃん、通訳変わってもらえませんか?」と、私を信頼してくださったことにも

涙が出るほど嬉しかった。

 

というのは、ゆかりんさんは大学から中国語を専攻され、今では司法通訳の先生も

つとめられる程の方で、いわば中国語の大先輩であり、大きな目標である。

そんなゆかりんさんなら、分かる部分だけをざっくりと訳し、“取り繕う”こともできただろう。

しかし「変わっていただけませんか」と告白されることは、聞き手である周ちゃんさんだけでなく、

話し手でもある主人にも、最大の敬意を払ってくださっている証拠である。

 

「听说读写」と中国語では言われるように、言語習得には「聞く、話す、読む、書く」の

4つの能力がある程度のレベルに、到達していなければならない。

そしてこの4つ能力の積み木の上に乗せることができるのが「译(=訳す)」であると

言われている。

 

語学を0から始め「译」までできるようになれば、ある程度の自信もついてくる。

さらに厄介なことに分からないことを正直に分からない、間違いを素直に認められないという

不必要なプライドも出てくる。

これは特殊なことでは決してなく、多くの人、いやほとんどの方が一度は経験しているだろう。

 

そのプライドを捨てられず、そのままのレベルで止まってしまうか

あるいはそのプライドをきちんと処理し、“関所”を乗り越え、さらにレベルアップをされるか…

語学力だけでなく、人間力さえも試されているように思う。

 

今でこそ、素直に意見に耳を傾け、受け入れる事ができるようになったが

かく言う私も、指摘をされれば「通じるし(怒)」とプライドを捨てられなかった時期が、

長い間あった。

北京オリンピックを経て上海万博を経験する頃が、まさにピーク。

あの時期がなければ、もう少し中国語がうまくなれていたのではないかと思う。

そしてそのプライドを打ち砕いてくれたのが、今の主人である。

 

話しを少し戻そう。

ゆかりんさんのブログ記事を拝見し、あの時主人に言われた“衝撃”が映画のフィルムのように

巻き戻されたような気がした。

中国語を使って「掛け橋になりたい」と思った“初志”を、また心に深く刻みなおした。

 

才能がある方に、後ろからどんどん抜かれていき、自信をなくすこともたくさんある。

以前のように覚えられず、何度も何度も繰り返さなければならなくなった。

それでも前を向いて歩んでいけるのは、ゆかりんさんのような素敵な目標があり

方位磁石のように道を示してくださるからだろう。

 

語学に始まりはあっても、決して終わりはない。

また螺旋階段のように進んでいるつもりなのに、同じ景色しか見えない時期もある。

けれどその歩みを止めなければ、振り返った時にきっと違う風景が見えているだろう。

その日をめざし、また一段階段を上っていきたい。

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