中国生活も長くなり、途中帰国をしたり、年末年始等に一時帰国はしているものの
2004年に留学で足を踏み入れてから、中国滞在歴は合計で10年を超えた。
中国生活が長くなると、逆にだんだんと見えてくるのが「日本の姿」。
そこで本日は、私の目から見える日本を少しお話ししたいと思う。
孫の顔を見せてあげたいと、日本に一時帰国すると、
少子化対策のために、いろいろな便利なサービスが無料で受けられる。
・こども園開放日、親子でイベント参加
・市役所での子育て相談、健康診断
・公共トイレのベビー関連設備の充実
日本で生活している方には当たり前かもしれないが、
中国でいる私にとっては、これら「育児のハード面」の充実はどれも非常に羨ましい。
中国のこども園と言えば、参加可能型なのは入園のための体験学習日ぐらいで、
自由に遊ばせるという訳ではなく、子供同士の積極的な交わりがある訳でもなく、
こども園が決めたスケジュール通り進んでいく。(瀋陽だけかもしれないが・・・)
保健所の健康診断と言えば、とにかく人、人、人。とにかく人で溢れかえっている。
ゆっくり話を聞いてもらえる時間もなく、機械的に検査が済んでいく。
「後日相談に」と思っても、健康診断以外は保健師が不在の日も多い。
トイレは先日紹介した公衆トイレのように、徐々に意識と設備は整いつつあるが、
ベビー関連設備が日常的に利用できる頃には、我が子はすでに必要ない年齢だと思う。
しかしその一方で、自らの日本帰国中の経験や、ネット上での投稿等を見ていると
「育児のソフト面」の評価となれば、形勢は一気に逆転するように感じる。
特に、公共の場や交通機関における乳幼児の泣き声、行動に対する見解、態度は
批判的、攻撃的、高圧的なネガティブなものが多い。
もちろんそれに対する同情意見もあるが、本当に理解してほしい方からの支持は
はやり数えられるほどではないだろうか?
確かに親の事前準備や配慮、解決方法や対応の態度にも、問題がある場合も多い。
ただ、中国で子育て経験のある日本人パパママなら、中国では感じない窮屈な思いを
(一時)帰国をした際に、感じたことがあるのではないだろうか?
・公共交通機関に乗ろうとすればベビーカーを代わりに提げてくれる
・バスに乗れば「こっち、こっち」と、我先にと席を譲ってくれる
・ドアがあれば開けてくれ、通り過ぎるのを待ってくれている
中国はこのような対応が、誰ともなしに、日常的に自然に行われている。
特に一時帰国の飛行機でよく目にする光景は、ぐずって嫌がる子供を、
前後左右に座った赤の他人が、チームとなりあやしたり、なだめたりしている。
我が子も初めて飛行機に乗ったのは、まだ100日の食い初めが済んでいない時だった。
席に着くなり、周りには「ぐずってうるさくしたらごめんなさい」と断りを入れると
どの方も、「子供だから泣いて当たり前。気にしなくていいよ」と思いやってくれ、
機内食が出てくると「抱っこしててあげてるから、あなたも食べたら?」と
気遣ってくれた。
子供に対して、本当に寛容である 。
もちろんそれらの“子供を思う気持ち”が、日本人の私からすれば、
「おせっかいだ」と思うこと、みんなの前で大声でお叱りを受けることも少なくない。
例えば我が子は靴を履くのが嫌いで、素足でよく地面を歩く。
街で会う人、会う人、特に年配のご婦人たちには、
「何を考えてるんだ! 足を怪我したらどうするんだ」と大声で怒鳴りつけられ、
「大丈夫、我が子はいつもこうだから」と反論しようものなら、
「それでも母親かい? あきらかな虐待だ!」と騒がれたことも1度や2度ではない。
しかしこれらは全ての出発点は、子供を大事に思ってのこと、愛があってこそだ。
彼女たちからすれば、子供はみんな「我が子」なのだ。
中国で生活が長くなればなるほど、最近特に思うことは、
「私は根っからの日本人」で、日本が好きだということ。
中国で何か嫌なことがあれば「日本なら、こんなことはないはずだ」と思う。
また親や先生たちから教わった「できるだけ他人に迷惑をかけないように」という
思いやりや、心遣い、気遣いも好きだし、美徳だと思う。
だから今までそのように行動してきたし、そのように生きてきたつもりである。
しかしこの精神は、もしかしたらどこかで
・私もあなたを邪魔しない、だからあなたも私を邪魔するな!
・私も休まない、だからお前も決して休むな!
・私も我慢している、だから君も我慢しろ!
そんな「暗黙の了解」という見えざる圧力が、はびこっているように感じてしまう。
つまり迷惑をかけたくない文化であると同時に、迷惑もかけられたくない文化。
これは本当の意味での、思いやりや気遣いなのだろうか?
中国に来て、いくつもの文化や習慣の違いに触れるうちに
「私の常識は、相手の非常識」と思う経験が、たくさんあった。
そんな今だからこそ、日本が好きだからこそ、ふと、立ち止まって考えたい。
外から見える日本は、日本で居た時とは少々異なる見え方がする。
外にいるからこそ、違う角度で見える日本がある。
もちろんそれは良し悪しや、どちらが上、どちらが下という問題では決してなく
ただただ客観的な意見の一つにしか過ぎない。
でも、特に最近「本当の思いやり、気遣いとは?」と考える時間が増えたのは、
きっと心のなかで「何かが叫んでいる」、そんな気がしてならない。
後日、9月3日に「24カク」さんの記事でも、同じようなテーマで言及されました。
世界から日本の育児を見ると、少々息苦しいように見えてしまいます。
日本のママさんたちが、もっと楽しんで育児できるような、
そんな日本になればいいなと心から願います。
なぜなら、私は日本が大好きだから。